ロサンゼルス・エンゼルス
ロサンゼルス・エンゼルスは、カリフォルニア州アナハイムを本拠地とするメジャーリーグのプロ野球チームです。アメリカンリーグの西地区に所属しており、ヘイローズというニックネームで呼ばれることもある、人気の高い球団となっています。
基本情報
ロサンゼルス・エンゼルス(Los Angeles Angels)はカリフォルニア州アナハイムを本拠地とするメジャーリーグのチームです。初めは「ロサンゼルス・エンゼルス」として発足、その後「カリフォルニア・エンゼルス」、「アナハイム・エンゼルス」そして「ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム」という名を経て、現在はロサンゼルス・エンゼルスという球団名に落ち着いています。今は単に「エンゼルス」(天使という意味)と呼ばれる他にも「ヘイローズ」(天使の輪という意味)というニックネームで呼ばれることがあります。
- 1961〜1965年 ロサンゼルス・エンゼルス
- 1965〜1996年 カリフォルニア・エンゼルス
- 1997〜2004年 アナハイム・エンゼルス
- 2005〜2015年 ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム
- 2016年〜現在 ロサンゼルス・エンゼルス
1961年に創設、アメリカンリーグの西地区に所属。本拠地球場をエンゼル・スタジアム・オブ・アナハイムにおいています。スタジアムはロサンゼルス国際空港から車で30分~40分の距離に位置し、収容人数は4万5050人。
ユニフォームカラーはレッド、ダークレッド、ネイビーブルー、シルバー。ロゴデザインは 赤の「A 」というアルファベットを中心にシルバーの輪がアルファベット上部を囲み、輪郭がネイビーブルー。輪と同じネイビーブルーがアルファベットの輪郭を描いています。
これまでのあゆみ
何年もの間、アメリカンリーグの既存チームがロサンゼルスに移転するという話があり、1940年、セントルイス・ブラウンズはアメリカンリーグのオーナーにロサンゼルスへの移転許可を要求。その時は断られましたが、1942年のシーズンに再び移転を計画、今度はリーグから許可を得ます。しかし、1941年12月に真珠湾が爆撃されたため西海岸でのメジャーリーグは不可能となり、1953年、1954年のシーズンに向けてブラウンズがロサンゼルスに移転するという話が再び浮上。チームは売却され、代わりにオリオールズとしてボルチモアに移転しました。市当局とワシントン・セネターズとの間でも、移転の可能性について一進一退の議論がなされ、また、1955年にフィラデルフィア・アスレチックスがカンザスシティに移転したのは、ロサンゼルスに向かう途中の一時的な立ち寄りであったという噂も出てきます。
結局、この街に最初にやってきたのは、ブルックリン・ドジャースという形のナショナル・リーグでした。ドジャースのオーナーであるウォルター・オマリーは、1957年初めにシカゴ・カブスのオーナー、フィル・リグリーからパシフィック・コースト・リーグのロサンゼルス・エンゼルスを買収。オマリーはロサンゼルスのメジャーリーグ球団の権利も取得し、1年後にドジャースをロサンゼルスに移転させます。コンチネンタル・リーグ構想の実現を阻止するため、1960年、既存の2リーグは、各リーグに新たに2チームを加えて拡張することに合意。ナショナル・リーグが10番目のチームとしてニューヨークにメッツを置くと、アメリカン・リーグはロサンゼルスにチームを置き、1961年にプレーを開始する計画を発表しました。
エンゼルスの誕生
元歌手、俳優、そしてアメリカ西海岸で多くのラジオ局やテレビ局を経営していたジーン・オートリーは、1960年にセントルイスで開催されたメジャーリーグのオーナー会議に出席し、新チームの試合の放送権を獲得することを切望。チームを購入し、ロサンゼルス・エンゼルスと名付けます。「エンゼルス」とはスペイン語のロサンゼルスを直訳したもので、ロサンゼルスのチームにとってこの名前がつくのはとても自然な成り行きでした。
60年代
チーム創設初年度の1961年、エンゼルスは70勝91敗で勝率.435を記録。1962年、オマリーとの契約により、エンゼルスはドジャースタジアムに移転しました。1964年、投手のディーン・チャンスはメジャーリーグのサイ・ヤング賞を受賞。アナハイム・スタジアムの建設が始まり、1966年に移転。アナハイムでの初年度の観客動員数は140万人を超え、アメリカン・リーグをリードすることとなります。この時期の有名なエンゼルス選手には、ケン・マクブライド投手、ジム・フレゴシ遊撃手、アルビー・ピアソン外野手とレオン・ワグナー外野手、バック・ロジャース捕手などがいます。
70年代
1970年代、ノーラン・ライアンが活躍。4度のノーヒットゲームを達成し、いくつもの奪三振記録を打ち立てます。中でも1973年に記録した383奪三振は、今でもメジャー記録となっています。ライアンの偉業は、フランク・シナトラ主演の1965年の映画「フォン・ライアン特急」にちなんで、ライアン特急と呼ばれるように。また、元エンゼルスのショート、ジム・フレゴシ監督の下、1979年に初のアメリカン・リーグ西地区優勝を果たします。ドン・ベイラーは、アメリカン・リーグ最優秀選手賞を受賞した最初の指名打者となりました。
80年代
フットボールチームのロサンゼルス・ラムズが、1980年のシーズンにアナハイムへ移転することに合意し、観客席は65,000人近くにまで拡大。オークランド・アスレチックスとニューヨーク・ヤンキースでスター選手として活躍したレジー・ジャクソンがチームに加わり、AL西地区1位を決めます。1986年のポストシーズンはアメリカン・リーグ新人王候補のウォーリー・ジョイナーとチャック・フィンリー投手が新たに参加。1986年のワールドシリーズに出場しました。
90年代
1982年と1986年のポストシーズンでの惨敗、そして1978年のライマン・ボストック外野手の殺人事件やドニー・ムーアの自殺につながった事件などの悲劇的な出来事から、1995年、ついに球団は史上最悪の崩壊に見舞われてしまいます。果ては「エンゼルスには呪いがかかっている」とまで言われるようになってしまいました。2002年にエンゼルスがワールドシリーズで優勝する前、球団が成功を収められなかったのは球場であるザ・ビッグAが古代ネイティブ・アメリカンの埋葬地の上に建てられていたからだとする説まで囁かれ始めます。それは歴史学者たちがこの伝説を肯定も否定もできない状態にまで追い込む事態でした。1997年からウォルト・ディズニー・カンパニーが経営に参画。ユニフォームも一新され、ピンストライプのベスト・ジャージに、チーム名の「A」の左側に天使の羽を大きくあしらった、ディズニー・スタジオがデザインしたロゴが採用されました。
現在
2002年、伝統的なユニフォームに回帰。ワールドシリーズでは、チーム初にして唯一のワールドシリーズ・チャンピオンに輝きました。2003年、ディズニー社が球団経営から撤退。スタジアムはエジソン・インターナショナル・フィールド・オブ・アナハイムとして7年間運営された後、エンゼル・スタジアム・オブ・アナハイムと改名。2005年、アナハイム・エンゼルスからロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムへチーム名を変更。2004年、フリーエージェントで獲得したばかりのウラディミール・ゲレーロがエンゼルスを4度目のアメリカン・リーグ西地区優勝に導き、アメリカン・リーグ最優秀選手賞を受賞。2012年にはシーズン前、3度の最優秀選手に輝いたアルバート・プホルスと10年契約を結び、球史に残る大型補強を行っています。2014年にはブレイクし、レギュラーシーズンではメジャー最多の98勝を挙げました。2018年には大谷翔平選手が加入し、ベーブルース以来の二刀流として全米からかつてないほどの注目を浴びています。
殿堂入り選手
ロサンゼルス・エンゼルスで活躍し、殿堂入りした選手のリストです。
- ロッド・カルー(1979〜1985年)
- レジー・ジャクソン(1982〜1986年)
- エディー・マーレイ(1997年)
- フランク・ロビンソン(1973〜1974年)
- ドン・サットン(1985〜1987年)
- ホイト・ウィルヘルム(1969年)
- デーブ・ウィンフィールド(1990〜1991年)
よくある質問
ロサンゼルス・エンゼルスに関するよくある質問をまとめました。
ロサンゼルス・エンゼルスのオーナーは?
ロサンゼルス・エンゼルスの球団オーナーはアルトゥーロ・モレノ氏です。モレノ氏は2003年に1億8400万ドルで買収しました。
ロサンゼルス・エンゼルスは儲かっているんですか?
ロサンゼルス・エンゼルスの2022年の収入は3億7100万ドルで、前年比で約12%増加しています。
ロサンゼルス・エンゼルスの価値は?
ロサンゼルス・エンゼルスの2023年の推定価値は27億ドルです。
ロサンゼルス・エンゼルスに所属していた日本人選手は?
エンゼルスには長谷川滋利選手、松井秀喜選手、高橋尚成選手、田澤純一選手が所属していました。 2018年からは大谷翔平選手が所属しています。