団体

北海道日本ハムファイターズ

北海道日本ハムファイターズ(ほっかいどう・にっぽんはむ・ふぁいたーず)はパ・リーグに所属する日本のプロ野球の球団です。2004年に東京から北海道へと移転し、心機一転再スタート。現在はエスコンフィールドHOKKAIDOを本拠地としています。通称は「日本ハム」、「日ハム」、「ファイターズ」。名前の通り食料品メーカーの日本ハムが親会社です。

山本 光代

目次
北海道日本ハムファイターズ

基本情報

北海道日本ハムファイターズ(Hokkaido Nippon-Ham Fighters)はパシフィックリーグに所属する日本のプロ野球チームです。北海道に拠点を置き、2023年3月14日に開業したエスコンフィールドHOKKAIDOを本拠地としています。1946年にセネターズとして東京で発足、後に東急フライヤーズに名前を変更。そして急映フライヤーズ、東急フライヤーズ、東映フライヤーズ、日拓ホームフライヤーズ、日本ハムファイターズを経て、2004年から現在の名称に落ち着きました。

  • 1946〜1947年 セネターズ
  • 1947〜1948年 東急フライヤーズ
  • 1948〜1949年 急映フライヤーズ
  • 1949〜1953年 東急フライヤーズ
  • 1954〜1972年 東映フライヤーズ
  • 1973〜1974年 日拓ホームフライヤーズ
  • 1974〜2003年 日本ハムファイターズ
  • 2004〜現在   北海道日本ハムファイターズ

本拠地は2004年から2022年までは札幌ドームでしたが、2023年に自前で新設したエスコンフィールドHOKKAIDOに移動。また、2003年まで本拠地として使用していた「東京ドーム」を準本拠地としており、主催試合を年間数試合開催しています。ユニホームカラーは「北海道の澄んだ空と海」をイメージしたという青「ファイターズブルー」。マスコットは背番号179のキタキツネ「フレップ・ザ・フォックス」。

北海道日本ハムファイターズのマスコット

これまでのあゆみ

北海道日本ハムファイターズには華のあるスター選手が多く所属しており、今ではメジャーリーグから帰ってきた新庄剛志氏が中心となってチームを盛り上げています。これまでに7回のリーグ優勝と3回の日本シリーズ制覇を達成。特に北海道移転後は15年間でリーグ優勝5回、日本一2回を記録するなど大躍進を遂げています。現在、開発に1億円を投じたという「ベースボール・オペレーション・システム(BOS)」という情報システムにより堅実な若手選手の育成を行なっています。

  1. 北海道日本ハムファイターズの誕生

    北海道日本ハムファイターズのルーツは1946年に東京都を拠点として発足したセネタースにあります。1947年に東京急行電鉄資本となった関係で東急フライヤーズ、翌年は大映との共同経営となったため急映フライヤーズに。しかし大映が他球団を買収して撤退したため東急フライヤーズに再び戻り、その後、映画会社東映資本の東映フライヤーズへと改名が続きます。1950年の2リーグ分立時にはパ・リーグに加盟。1953年9月には専用球場である駒沢野球場が開場しました。

  2. 1960年代

    1960年に水原茂氏を監督に迎え、1961年から7年間Aクラスを維持。1962年には球団初の日本一に輝きました。張本選手は球団史上初のMVP獲得、尾崎選手が新人王を受賞。1965年に正式に後楽園球場へ再移転。

  3. 1970年〜1980年代

    1973年1月に日拓ホームに球団が売却され、日拓ホームフライヤーズに。1年後に日本ハムがオーナー権を得て、1974年より日本ハムファイターズとして新たに出発します。197年から大沢啓二氏が監督に就任、1978年には柏原純一、島田誠、ボビー・ミッチェル選手らの活躍によりAクラスに。1981年には優勝を果たします。1987年、新人の西崎幸広選手が大活躍し、チームは3年ぶりのAクラスとなる3位に。後楽園球場が閉鎖し、建設中の東京ドームに移転。

  4. 1990年代

    1990年は柴田保光、マット・ウインタース、酒井光次郎選手らが活躍。大島選手が2000本安打を達成。1991年は白井選手が最高出塁率、武田一浩選手が最優秀救援投手を獲得。1992年はベストメンバーが組めず5位。1993年は再び大沢監督のもと、武田、白井康勝、田中幸、広瀬哲朗、リック・シュー選手らが活躍、西武と1ゲーム差の2位でシーズンを終了。金石、田村藤夫両選手が最優秀バッテリー賞を受賞。1994年は最下位となってしまい、1995年も4位で終了。1996年は岩本、今関、芝草宇宙、西崎、片岡各選手の活躍により2位。3年目の金子誠選手が新人王を獲得。1997年はナイジェル・ウィルソン選手が本塁打王を獲得。結果はリーグ4位。1998年はウィルソン、ジェリー・ブルックス、田中幸雄、片岡、西浦克拓各選手を擁してビッグバン打線と呼ばれるように。1999年は投手陣の不調もありリーグ5位で終了。

  5. 2000年代

    2004年から北海道日本ハムファイターズとなり、本拠地をそれまでの東京ドームから札幌ドームへ移転。新庄剛志選手がMLBから復帰し「SHINJO」としてチームに加入。その軽快なパフォーマンスが「新庄劇場」として報じられ、ファイターズが注目を浴びるようになり、結果は3位。横山道哉選手が最多セーブ、フェルナンド・セギノール選手が本塁打王を獲得。稲葉篤紀、ダルビッシュ有各選手が入団。2006年は25年振り3度目の優勝。日本シリーズでも44年ぶりの日本一を達成。ヒルマン監督がインタビューで使ったフレーズ「シンジラレナ〜イ」が流行語大賞にノミネート。2007年は「確実に1点を取って守り切る」という前年の戦略がより徹底されて2連覇。2008年には梨田昌孝氏が監督に就任、3位。2009年は優勝。武田勝、ダルビッシュ、林昌範、江尻慎太郎、宮西尚生、武田久、菊地和正、大野奨太、二岡智宏、糸井嘉男各選手が大活躍しました。

  6. 2010年代

    2010年は榊原諒が新人王、小谷野が打点王に。チームとしては4位で終了。2011年は2位。2012年は栗山英樹監督のもと、吉川光夫、斎藤佑樹、武田勝、増井浩俊、多田野、中村勝、谷元圭介、稲葉、鶴岡各選手が活躍を見せ3年ぶりの優勝。メジャー挑戦を表明していた大谷翔平選手をドラフトで強行指名して獲得。2013年はその大谷選手やミチェル・アブレイユ、陽選手らがホームラン王や盗塁王を獲得。2014年は3位。2015年は大谷選手が開幕7連勝、増井選手が球団新記録39セーブ達成、2位で終了。 2016年、大谷、西川遥輝、陽、中田、ブランドン・レアード、高梨裕稔、増井選手らの活躍によりリーグ優勝、日本シリーズにて日本一を達成。 2017年は5位でシーズンを終了。2018年は前半戦を2位で折り返すも3位に。2019年は一時は最下位に沈むも終盤で巻き返し5位で終了。

  7. 2020年代〜現在

    2020年は5位でシーズン終了。中田翔選手が打点王、近藤健介選手が最高出塁率のタイトルを獲得。2021年はBクラス5位。栗山監督の後任に新庄剛志選手が監督に内定。チームロゴとユニフォームが一新。2022年、新庄監督が1年間限定で自身の愛称「BIG BOSS」を登録名として使用。「きつねダンス」がネットを中心に大流行し、流行語大賞トップテンを受賞。松本剛選手が球団右打者初の首位打者及び外野手部門のベストナインを獲得。2022年オフから2023年7月にかけて積極的なトレードを敢行。2023年、自前の球場「エスコンフィールドHOKKAIDO」が完成し、本拠地を移転。現在の監督は新庄剛志氏。

いよいよ秋季キャンプ2023スタート!【@エスコンフィールドHOKKAIDO】

北海道日本ハムファイターズの永久欠番

北海道日本ハムファイターズの永久欠番及び永久欠番扱いされている番号は以下の通りです。

  • 永久欠番

    • 大社義規氏 (100番) 
      日本ハム創業者で球団の初代オーナー。2005年、90歳にて逝去。その後、2009年特別表彰で野球殿堂入りし、背番号「100」が永久欠番となりました。
  • 準永久欠番

    • 大沢啓二氏 (86番) 
      1965年に現役引退後、1976年に日本ハムファイターズの監督に就任。「ハム」と読める「86」は大沢監督自身が決めた背番号で、大沢監督のみが使用し、退任以降は欠番となっています。
  • 期間限定欠番

    • 小林繁氏 (79番) 
      選手として活躍の後、野球解説者やスポーツキャスターとして才能を見せた小林氏。2009年には北海道日本ハムファイターズの2軍コーチに就任。2010年、自宅で倒れて緊急搬送先の病院で急逝されました。小林氏がコーチ時代の背番号「79」は期間限定の欠番となり、2012年に西俊児コーチが引き継いでいます。

SNS

よくある質問

北海道日本ハムファイターズに関するよくある質問をまとめました。

北海道日本ハムファイターズのオーナーは?

北海道日本ハムファイターズのオーナーは井川信久氏です。井川氏は日本ハムの社長をされています。

北海道日本ハムファイターズのスポンサーは?

北海道日本ハムファイターズのオフィシャルプレミアムスポンサーには、アインホールディングス、イオン北海道、NTTドコモ、オカモトホールディングス、キリンビール、クボタサッポロビール、ジャックス、セコマ、ニトリ、日本エスコン、セブンイレブン・ジャパン、パナソニック、ビックカメラ、ファナティクス・ジャパン合同会社、ベルコ、ホクレン農業協同組合連合会北海道コカ・コーラボトリング、北海道新聞社、ポッカサッポロフード&ビバレッジ、マルハン、三菱UFJ銀行、ミルクランド北海道、ヤマト運輸、ローソンなどといった企業が名を連ねています。

北海道日本ハムファイターズの資本金は?

北海道日本ハムファイターズの資本金は2億円です。

北海道日本ハムファイターズのフレップ・ザ・フォックスとは?

フレップ・ザ・フォックスは北海道日本ハムファイターズのマスコットキャラクターです。キタキツネをモチーフとしており、愛称は「フレップ」。炎(フレアー)のように真っ赤な髪と額の七光星模様がトレードマークです。他にもマスコット仲間にエゾリスの女の子「ポリー」、クマの「B・B」、B・Bの弟「カビー」がいます。