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横浜DeNAベイスターズ

横浜DeNAベイスターズ(よこはまディー・エヌ・エー ベイスターズ)はセントラルリーグに所属する日本のプロ野球の球団です。拠点を山口県、大阪府、神奈川県と転々と移し、名前を大洋ホエールズ、大洋松竹ロビンス、横浜大洋ホエールズ、横浜ベイスターズなどと繰り返し改称、そして他球団との合併を乗り越えて今に至る、ドラマチックな遍歴のあるチームとなります。

by  Mitsuyo Yamamoto

目次
横浜DeNAベイスターズ

基本情報

横浜DeNAベイスターズ(Yokohama DeNA BayStars)はセントラルリーグに所属する日本のプロ野球チームです。現在は神奈川県に拠点を置き、横浜スタジアムを本拠地としています。1950年に大洋ホエールズとして発足、後に大洋松竹ロビンスに名前を変更。そして洋松ロビンス、大洋ホエールズ、横浜大洋ホエールズ、横浜ベイスターズを経て、2012年から現在の名称に落ち着きました。

  • 1950〜1952年 大洋ホエールズ
  • 1953〜1954年 大洋松竹ロビンス
  • 1954〜1955年 洋松ロビンス
  • 1955〜1977年 大洋ホエールズ
  • 1978〜1992年 横浜大洋ホエールズ
  • 1993〜2011年 横浜ベイスターズ
  • 2012〜現在   横浜DeNAベイスターズ

元々は捕鯨や水産加工食品の生産事業を行っていた大洋漁業(現マルハニチロ食品)の実業団チームが土台となっており、本拠地は山口県下関市にありました。しかし松竹ロビンスと合併して大阪へ、そしてその後は神奈川県川崎市へ移転。さらに横浜市へ移転という、次々に本拠地を変えた過去があります。現在の親会社はモバイルゲームなどIT事業を広く手がけるDeNA。今はすっかり横浜の顔として「ディー・エヌ・エー」や「ベイスターズ」と呼ばれています。

公式マスコットはホッシー、ブラックホッシー、レック、DB.ライダーなどを経て、2012年からDB.スターマン&DB.キララにバトンタッチ。ハマ(横浜)とスター(星)からハムスターをイメージしたキャラクターで、星形の顔、星形の肉球、そして背中に☆(スター)をつけ、ダンスなどでチームを盛り上げています。また、同じく2012年から、セ・リーグの球団としては初めてニコニコ生放送でホームゲーム全試合の無料配信を行っています。

横浜DeNAベイスターズの公式マスコット

これまでのあゆみ

横浜DeNAベイスターズは基本的に打高投底のチームと言われており、1998年の優勝時にはマシンガン打線として恐れられました。過去の親会社時代には2回のリーグ優勝と2回の日本シリーズ制覇を達成しています。

  1. 横浜DeNAベイスターズの誕生

    横浜DeNAベイスターズは日本野球が2リーグに分立した1950年に発足した大洋ホエールズを母体としています。同時に誕生した松竹ロビンスと1953年に合併、大洋松竹ロビンスに。しかし、共同経営であることと経営難が重なり、1955年より再び大洋ホエールズに戻り、ホームも川崎球場に移転しました。

  2. 1960年代

    名将と呼ばれた三原脩氏を1960年に監督として迎えた後、すぐに球団史上初のリーグ優勝!近藤和彦、桑田武、秋山登各選手など、1950年代後半から登場してきた若い戦力が一気に才能を開花させます。日本シリーズでも大毎オリオンズを全て1点差で4連勝で下し、初の日本一に輝きました。

  3. 1970年〜1980年代

    1970年代から1980年代にかけて、平松政次、斉藤明雄、遠藤一彦、松原誠、山下大輔、田代富雄、高木豊各選手が活躍。1978年には川崎球場から横浜スタジアムへ本拠地を移し、球団名も横浜大洋ホエールズに変更します。1979年に2位、1983年と90年に3位に。

  4. 1990年代

    1993年に球団名から企業名を外し、横浜ベイスターズと改称。した。権藤博氏を監督に迎えた1998年、38年ぶりとなる2回目のリーグ優勝!鈴木尚典、石井琢朗両選手らが大活躍を見せ、「マシンガン打線」と称されました。抑え投手の佐々木主浩選手は防御率0.64、45セーブの完璧な投球をみせて優勝に貢献。日本シリーズでも西武ライオンズを破り日本一となりました。

  5. 2000年代

    2000年、ファームチームを「湘南シーレックス」と改称。オーナー会社がマルハ株式会社(現・株式会社マルハニチロホールディングス)から株式会社東京放送(現・株式会社東京放送ホールディングス)に変更。中国プロ野球「天津ライオンズ」と業務提携を開始。2006年、NPO法人(特定非営利活動法人)横浜ベイスターズ・スポーツコミュニティを新日本石油ENEOS(現・JX日鉱日石エネルギー株式会社)と共同で設立。2009年、球団名を「横浜ベイスターズ」に変更以来、初めてユニホームデザインを一新。

  6. 2010年代

    2012年からはディー・エヌ・エー(DeNA Co., Ltd.)が経営母体となり、球団名を現在の横浜DeNAベイスターズに改称。新監督には中畑清氏を招聘し、GMに高田繁が就任。アルファベットはDだと中日ドラゴンズと被るため、DBとしました。2015年、アレックス・ラミレスが監督として3年ぶりに復帰。2016年にクライマックスシリーズに初めて進出。2017年はシーズン終盤の巨人とのCS争いを制して2年連続3位でCS出場。セ・リーグ初となる3位からの日本シリーズ出場を達成。2018年は東克樹、神里和毅両選手が躍動し、新外国人ネフタリ・ソト選手が41本で本塁打王に輝きます。オーストラリアのキャンベラ・キャルバリーと戦略的パートナーシップを締結。球団創設70年目を迎えた2019年は2位に。また、MLBのアリゾナ・ダイヤモンドバックスと戦略的パートナーシップを締結。ライト側スタンド「ウイング席」完成。

  7. 2020年代〜現在

    2020年は2年ぶりのBクラスとなる4位に。レフト側スタンド「ウイング席」完成。「Yデッキ」リニューアル運用開始、「DREAM GATE STAND」新設。シーズン終了後ラミレス監督が退任し、後任に三浦大輔2軍監督が昇格。します。2021年は低調気味で最下位でシーズンを終了。2022年は球団記録となる本拠地での主催試合17連勝を達成、2位で終了。2023年はサイ・ヤング賞受賞者であるMLBの実力者、トレバー・バウアー氏を獲得し、交流戦で優勝するも、シーズン3位で終了。三浦大輔監督が2024年シーズンを続投することが決定しています。

横浜DeNAベイスターズのトレーニング

横浜DeNAベイスターズの永久欠番

横浜DeNAベイスターズには永久欠番は存在していません。ただし、背番号「18」番が「ハマの番長」と呼ばれた三浦大輔氏が現役19年間、コーチ2年間で背負った「横浜ナンバー」となっており、エースの座を受け継ぐにふさわしい存在の登場まで封印されるとし、準永久欠番となっています。

また、2020年に海を渡った筒香嘉智選手が着けた背番号「25」についても、現役の間は他の選手が着けることはないとされており、準永久欠番となっています。

SNS

よくある質問

横浜DeNAベイスターズに関するよくある質問をまとめました。

横浜DeNAベイスターズのオーナーは?

横浜DeNAベイスターズの球団オーナーは南場智子氏です。南場氏はディー・エヌ・エー代表取締役会長をされています。

横浜DeNAベイスターズのスポンサーは?

横浜DeNAベイスターズのスポンサーには、アサヒ飲料、伊藤園、神奈川新聞社、関東学院大学、KEYCOFFEE、キリンビバレッジ、あさひハウジングセンター、アルプス技研、ウインズ横浜、サガミ、産業経済新聞社、ジェーシービー、叙々苑、そごう・西武、高島屋、タニタ、ドミノピザジャパン、NIVEA、日本郵便、日本体育大学、サーティワンアイスクリーム、丸八真綿、安田物産、横浜エフエム放送、横浜ベイシェラトンホテル&タワーズ、ローソンなどといった企業が名を連ねています。

横浜DeNAベイスターズの資本金は?

 横浜DeNAベイスターズの資本金は1億円です。

横浜DeNAベイスターズのスターマンとは?

スターマンは横浜DeNAベイスターズのマスコットキャラクターです。横浜生まれ、横浜育ちのDB. スターマン。 星形の顔、星形の肉球、そして背中に☆(スター)をつけ、チームを盛り上げています。名前の 「DB.」は「DeNA BayStars」のイニシャルであるとともに、「大好き・ぼくらの(Daisuki・Bokurano)」の意味も込められているということです。