東京ヤクルトスワローズ
東京ヤクルトスワローズ(とうきょう・やくると・すわろーず)はセントラルリーグに所属する日本のプロ野球の球団です。東京に拠点を置き、神宮球場を本拠地としています。野球に詳しくない人でも「つば九郎」というマスコットがいる球団、と言えばわかるのではないでしょうか。名前の通り、ヤクルト本社が運営母体の球団となります。
基本情報
東京ヤクルトスワローズ(Tokyo Yakult Swallows)はセントラルリーグに所属する日本のプロ野球チームです。東京に拠点を置き、明治神宮野球場を本拠地としています。1950年に国鉄スワローズとして発足、後にサンケイスワローズに名前を変更。そしてサンケイアトムズ、アトムズ、ヤクルトアトムズ、ヤクルトスワローズを経て、2006年から現在の名称に落ち着きました。
- 1950〜1965年 国鉄スワローズ
- 1965〜1966年 サンケイスワローズ
- 1966〜1968年 サンケイアトムズ
- 1969〜1970年 アトムズ
- 1970〜1973年 ヤクルトアトムズ
- 1974〜2005年 ヤクルトスワローズ
- 2006〜現在 東京ヤクルトスワローズ
この「スワローズ」という名前ですが、これは1950年設立当時、国鉄で数少ない特急列車だった「つばめ」から取ったという説が有力です。球団マスコットはつばめをモチーフとしており、つば九郎とつばみが活躍。また、応援団はツバメ軍団 と呼ばれています。
球団カラーとして使用しているのは赤、紺、緑、白の4色で、赤、紺、白はスワローズ基本カラー、緑色はスワローズ応燕(おうえん)カラーとして採用されています。なお、球団創設55周年という節目のシーズンである2024シーズンのCREWユニホームには、ヤクルト球団の伝統カラーである「水色」が採用されるということです。
これまでのあゆみ
「ヤ戦病院」「メークミルミル」「ゆとりローテ」「ID野球」「野村再生工場」など有名な言葉も多く輩出し、現在は外国人スカウトが優秀な球団としても知られている東京ヤクルトスワローズ。これまでに9回のリーグ優勝と6回の日本シリーズ制覇、そして2回の交流戦最高勝率及び優勝を達成しています。
東京ヤクルトスワローズの誕生
東京ヤクルトスワローズは1950年1月25日、2リーグ分立と同時に発足。旧国鉄(現在のJR)が関係会社を設立して運営することとし、国鉄スワローズとして結成され、同時にセ・リーグに加入しました。1952年から63年までは後楽園球場を使用。金田正一選手がエースとしてチームを牽引しました。
1960年代
1964年からは明治神宮野球場を本拠地とし、400勝投手の左腕、金田正一選手が投手として大活躍。1965年に経営権が産経新聞社に移り、1966年からは手塚治虫氏が球団後援会副会長だった縁でサンケイアトムズと改称。1969年は共同経営という形でアトムズと名乗ることになりました。
1970年代
1970年にヤクルトが単独経営権を取得、1973年末に「スワローズ」に改称。1977年に広岡達朗氏が監督に就任し、選手のプレーや行動、食生活にまで徹底的に目を光らせる万全の管理体制で戦力の充実を図ります。そして1978年、若松勉、チャーリー・マニエル、大杉勝男、松岡弘、安田猛選手らの活躍により球団史上初のリーグ優勝を成し遂げました。さらに日本シリーズでも阪急ブレーブス(現オリックス・バファローズ)を破り、日本一に輝きました。
1980年代
荒木大輔投手、池山隆寛選手、広沢克己選手といった人気選手が入団し、黄金時代の礎を築き上げました。
1990年代
1990年に野村克也氏が監督になり、データ重視の「ID野球」を徹底させ、チーム力が大きく向上。古田敦也選手を中心に、池山隆寛、飯田哲也選手らが活躍し、1992年にリーグ優勝。1993年、1995年、1997年には日本シリーズにも勝ち、まさに黄金時代を迎えました。1999年に若松勉氏が監督に就任。
2000年代
2001年に若松勉監督の下、日本一を達成。2002年は2位、2003年同率3位、2004年は2位、2005年は4位。2006年にチーム名に「東京」の名を冠し、「東京ヤクルトスワローズ」に。また、2006年からは古田敦也が選手兼任監督に就任。2006年はAクラスを確保しますが、2007年、主力選手が次々と離脱し最下位に。2008年から高田繁氏が監督に就任、シーズン5位で終了。福地寿樹、飯原誉士、林昌勇、押本健彦、松岡健一選手らに加え、相川亮二、川島慶三、田中浩康、高木啓充、鬼崎裕司選手らの活躍でAクラスに浮上します。
2010年代
2010年は小川淳司氏が監督代行を務め、ジョシュ・ホワイトセル、山岸穣、渡辺恒樹、畠山和洋選手らが快進撃。4位に終わりますが、石川雅規、館山昌平、佐藤由規、村中恭兵選手ら4人が2ケタ勝利を記録し、「メークミルミル」と呼ばれ話題になりました。2011年はウラディミール・バレンティン選手が加入。2012年に宮本慎也選手が通算2,000安打を記録。2013年は主力選手にケガ人が続出しますが、一方ではバレンティン選手がシーズン本塁打記録更新、小川泰弘選手が新人王獲得と明るい話題も。2014年は最下位に落ち込むものの、2015年には真中満監督の下、14年ぶりとなるリーグ優勝を実現。また、主軸の山田哲人がトリプルスリー(打率3割・30本塁打・30盗塁)を達成。2016年は5位。2017年は戦力不足となりセ・リーグ最下位に低迷、最終的にチームワーストの96敗を記録。2018年は小川淳司氏が監督として現場復帰、山田選手が3度目のトリプルスリーを達成、バレンティン選手が打点王となり、レギュラーシーズンは2位に。2019年は村上宗隆選手が大活躍しました。
2020年代〜現在
2020年8日23日、対阪神12回戦に山田哲人選手が先発出場し、通算1,000試合出場記録を達成。2021年、高津監督は故障回避を最優先にするため、投手陣の登板間隔をバラバラにする方針を考案。東京オリンピック終了後から、首位争いを繰り広げる阪神・巨人を猛追し1位に!6年ぶりのリーグ優勝を果たしました。 2022年は過去最高勝率を記録し独走ムードに。村上宗隆選手が史上最年少で三冠王に輝きます。2023年は主力野手の怪我離脱やパフォーマンス劣化が相次ぎ、不調が続いて5位に。
東京ヤクルトスワローズの永久欠番
東京ヤクルトスワローズには永久欠番は存在していません。ただし、準永久欠番とされている番号はあります。現在、準永久欠番となっているのは宮本慎也選手がつけていた「6」と古田敦也選手がつけていた「27」の2つです。また以前、一時的に準永久欠番だったものに若松勉選手がつけていた背番号「1」があり、この番号「1」は「ミスタースワローズ」という称号とワンセットとされています。
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よくある質問
東京ヤクルトスワローズに関するよくある質問をまとめました。
東京ヤクルトスワローズのオーナーは?
東京ヤクルトスワローズの球団オーナーは成田裕氏です。成田氏は株式会社ヤクルト本社代表取締役社長をされています。
東京ヤクルトスワローズのスポンサーは?
東京ヤクルトスワローズのトップスポンサーには、オープンハウスグループ、キリンビール、コカ・コーラ、マイナビ、ヤクルト本社、オフィシャルスポンサーにはアサヒビール、伊藤忠商事、SBI生命保険株式会社、オンワードホールディングス、コナミデジタルエンタテインメント、サッポロビール、住友化学、セブンイレブンジャパン、竹中工務店、東芝、東進ハイスクール、日本郵便、ファミリーマート、フジテレビジョン、プリマハム、三菱ガス化学、ヨドバシカメラなどといった企業が名を連ねています。
東京ヤクルトスワローズの資本金は?
東京ヤクルトスワローズの資本金は4億9,500万円です。
東京ヤクルトスワローズのつば九郎とは?
つば九郎は1994年から活躍している、東京ヤクルトスワローズのマスコットキャラクターです。つばめをモチーフにしており、名前の由来はつばめの別称である「つばくろ」からきており、野球が9人で戦うゲームであることを組み合わせて名付けられました。背番号はなく、ヘルメットを身に着けています。また他にも「つばみ」という、つば九郎の妹もマスコットを務めています。