人物

新井 貴浩(Takahiro Arai)

新井 貴浩Takahiro Araiさんは1977年生まれの日本の元・プロ野球選手です。内野手で右投げ右打ち、広島東洋カープと阪神タイガースで活躍しました。引退後は解説者として活動し、2023年より広島東洋カープの第20代監督に就任。現在も、日本のスポーツ界にまだまだ貢献し続けています。ここでは、そんな新井貴浩さんの功績を紹介しながらその人物像に迫ります。

山本 光代

目次
新井 貴浩

基本情報

日本は、新井貴浩のようなプロ野球選手を数多く輩出していることで知られていますが中田翔も忘れてはなりません。これは、この国が野球の強い伝統と高いレベルの選手育成を誇っていることを改めて強調するものです。それでは、新井貴浩さんについての3つの注目ポイントをご紹介します

  • 所属したチームは

    「広島の新井」の印象が強いですが、入団9年目にFA権(日本のプロ野球機構が定めた権利で、行使することにより他球団との交渉ができる)を行使し、阪神タイガースへ移籍します。阪神タイガースでは実働6年、チームの中心である4番打者も務めました。

  • 現役生活は何年

    新井貴浩選手の現役生活は広島東洋カープ、阪神タイガースと合わせて実働20年!あっぱれな野球人生でした。野球選手としては長く続けたほうです。そして2016年には史上47人目の通算2000本安打を達成し名球会の仲間入りを果たしています。

  • どんなバッターだった

    新井貴浩選手は体格に恵まれ、広角に打ち分けるパワーヒッターでした。特に内角球のさばきが巧みで、勝負強い打撃によりここ一番の場面に強く、チームを鼓舞する存在でした。フルスイングが信条で、三振を恐れず強いスイングを貫くスタイル。努力家で真面目な性格も長年日本のプロスポーツチームで活躍した要因であるといえます。

新井貴浩のプロフィール

プロフィール あらい たかひろ

プロフィール あらい たかひろ

新井貴浩さんの本名や年齢、身長や体重など、プロフィールを一覧にまとめました。

🧑🏻 本名

新井 貴浩(あらい たかひろ

📅 生年月日

1977年1月30日

📍 出生地

広島県(広島市佐伯区出身)

📏 身長

189cm

⚖️ 体重

102kg

🩸 血液型

B型 

💪 投打

右投げ右打ち

🎓 経歴

広島工高 — 駒澤大 — 広島 — 阪神 — 広島

⭐ プロ入り

1998年 広島東洋カープドラフト6位

📝 現役引退

2018年

✔️ 初出場

1999年4月3日

🏆 最終出場

2018年11月3日(日本シリーズ対ソフトバンクホークス)

経歴

経歴 新井 貴浩

経歴 新井 貴浩

新井貴浩さんは広島県出身。若い頃からスポーツ万能で、父親の影響で野球を始めました。駒沢大学を経て広島東洋カープに入団し、持ち前の努力と明るい性格でチームの中心選手に成長。そして新井貴浩さんの弟、新井良太さんも同じくプロ野球選手として活躍し、「新井兄弟」として知られました。移籍後の阪神でも主力としてプレーし、引退後は解説者、指導者として日本のスポーツ界に貢献しています。

学歴

新井貴浩さんは広島市立五月が丘小学校から広島市立五月が丘中学校佐伯区)を経て、県立広島工業高校へ進学します。高校では甲子園出場なしに終わりましたが、その後、東都大学野球連盟所属の名門、駒澤大学法学部に進学し、4年時に日米大学野球で打率5割を記録。同年秋のリーグ戦では打点王とベストナインを獲得しました。2016年、2000本安打達成時には「駒澤大学栄誉賞」を大学より授与されました。

家族・プライベート

新井貴浩と妻

新井貴浩と妻

新井貴浩さんの家族構成ですが、6歳下に弟の良太さんがおり、同じくプロ野球選手として日本のスポーツ界で活躍。良太選手は中日ドラゴンズ・阪神タイガース各チームに在籍し、現在は兄の新井貴浩監督の元、広島東洋カープでコーチを務めています。そして大学時代から交際していた2歳年上の姉さん女房がおります。現役時代から新井貴浩さんを支え続けていたそのお嫁さんはアイドルグループ「乙女塾」の元・メンバーでした。子供は息子が2人で、長男は関西学院大学、次男は関西大学で共に内野手として野球をしています。「常にベストを尽くせ」という父親からの教えを体現し、日々精進しています。

プロ野球界での経歴

新井貴浩 「辛いです・・・」  FA 会見

新井 貴浩さんの野球キャリアは、父親の影響を受けて始まりました。幼少期からスポーツが得意で、努力を重ねて名門・駒澤大学へ進学。卒業後はプロ野球選手として広島東洋カープに入団し、日本を代表する打者へ成長しました。以下、詳しい経歴をご紹介します。

広島時代

広島時代新井 貴浩

広島時代新井 貴浩

入団後は同じく駒澤OBで、鬼コーチとして知られる大下剛史おおした・つよしコーチの厳しい指導のもとで徹底的にしごかれ、努力を重ねた結果「カープの新井貴浩」として数々のキャリアを積んでいきます。新人時代から出場しチームに貢献、そして長らく4番打者を務めていた江藤選手の移籍により中心打者の地位を獲得します。そして新井 貴浩さんは順調に成績を上げてきましたが、2003年、2004年は不振に陥り4番打者の地位も明け渡すことになりました。そして2005年からは打撃フォーム改造に取り組んだ後、本塁打王とベストナインのタイトルを獲得し復活を遂げます。2007年には国内フリーエージェント権を獲得し、残留か日本の他球団へ移籍か、悩みに悩み一ヶ月後、決断を下しました。

阪神時代

阪神時代新井 貴浩

阪神時代新井 貴浩

FA権取得当時は残留の意志を示していたものの、広島から阪神へ移籍した敬愛する金本知憲選手を追い、愛するカープを出て移籍を決断します。涙の卒業、苦渋の決断でしたが「阪神タイガースの新井貴浩」が誕生しました。阪神では3番、ファーストで出場します。対広島戦ではカープファンから痛烈なヤジを浴びたものの、新井貴浩さんは阪神時代も数々の記録を打ち立てていきました。その他日本プロ野球選手会の会長も務め、日本の野球界にも大いに貢献します。弟の良太選手も他球団から移籍、兄弟で活躍しましたが、2012年頃から体はベストな状態ではないことがだんだんと多くなり、慢性的な右肩痛の悪化や腰痛、その他怪我をかかえ打撃不振に陥っていきました。

広島復帰時代

 チームは勝利後、高広真を空中に投げ上げる

チームは勝利後、高広真を空中に投げ上げる

2014年シーズンオフには、規約を上回る大幅減俸通告を受け又、翌年も代打中心になることが確実視されていたこともあって、新天地を求めて11月4日に球団に自由契約を申し入れ了承されました。そこで右打ちの長距離打者が補強ポイントだった広島が獲得に動き、新井貴浩さんの広島復帰が決定します。ファンには温かく迎えられ再び中心選手として活躍、史上47人目の2000本安打を達成し、日本の野球人の名誉、名球会の仲間入りも果たしました。特に2016年は2000安打・300本塁打・リーグ優勝・リーグMVPを同一シーズンに達成し、広島の新井貴浩さんにとって「夢のようなシーズン」(本人談)となります。2018年41歳で迎えたシーズン後現役引退を発表、中国新聞には新井選手を讃える全面広告が2ページにわたり掲載されました。広告主はカープのレジェンド、黒田博樹氏でした。

広島の監督時代

新井 貴浩 広島のマネージャー

新井 貴浩 広島のマネージャー

新井貴浩さんは引退して広島を退団後、TBSテレビなどの野球解説者、新聞社の野球評論家を務めます。2021年の東京オリンピックでも野球日本代表試合の解説を行い、「常にポジティブな解説に癒される」「選手も視聴者も相手チームも不快にさせない丁寧な解説」と好評を博しました。このように日本のスポーツ界にも貢献してきた新井さんですが、2023年、前年に退団した佐々岡真司監督の後任として広島の第20代監督に就任しました。就任当時46歳、ドラフト6位、たたき上げの新井貴浩さんがついに監督として又、広島に戻ってきました。2023年は開幕当初は下馬評が低かったものの、最終的には5年ぶりのAクラス入りを果たします。2024年は主力の怪我が多かったためチーム事情が苦しく失速、2025年も5位に終わり、最終戦の挨拶時にはファンから抗議の声も飛びました。新井貴浩監督は数十秒間黙ってそれを受け止め、来季の巻き返しを誓いました。

その他代表的な活動歴

新井貴浩さんは、日本のプロ野球だけでなく国際舞台でも活躍した選手でした。2006年のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)では日本代表に選出され、王貞治監督のもとでチームの一員として世界一に貢献。そして2008年には北京オリンピック代表として再び日本のユニフォームに袖を通しました。怪我をおしての出場だったため結果は残せなかったものの、リーダーシップを発揮し、若手選手にも大いに影響を与えました。代表試合では派手な記録や結果は残せませんでしたが、試合中は明るくチームを盛り上げる一方で、試合後はベストを目指し誰よりも練習に励む努力家として知られています。また、代表合宿では外国人選手とも積極的に交流し、英語で会話する姿も見られました。

選手としての特徴

選手としての特徴 荒井貴弘

選手としての特徴 荒井貴弘

新井 貴浩さんはプロ野球選手の中でも屈指の長距離打者として知られた現役時代の選手です。日本人離れした大柄な体格をいかした力強いスイングが最大の特徴で、内角球をさばく技術にも優れ、広角に打ち分ける柔軟さも兼ね備えていました。豪快なフルスイングを信条としながらも、打席では相手投手をよく研究し、冷静に対応する姿勢が光りました。また、新井貴浩さんは精神面の強さも特筆され、長い現役生活の中で努力を惜しまず、年齢を重ねても衰えを感じさせない打撃を見せ続けた点が、多くのファンや後輩選手から尊敬を集めています。

野球以外の新井貴浩情報

荒井孝宏、野球の外で

荒井孝宏、野球の外で

ここでは野球以外の新井貴浩さんのエピソードをお送りします。

  • 新井貴浩さんは在日韓国人として生まれ、2004年に日本へ帰化(帰化前の本名:朴貴浩 パク・グィホ)。
  • 広島時代の応援歌をすべてが完璧と語るほどとても気に入ってました。その他には阪神・鳥谷敬の応援歌も好きだったとのことです。
  • 好きな言葉は漫画はだしのゲン』の一節「踏まれても強くまっすぐ伸びる麦になれ」。
  • 幼少期からカープファンで、パジャマもカープ柄。新井貴浩さんは両親には厳しく育てられましたが、父親が熱烈なカープファンだったそうです。
  • 駒沢大学時代、元・巨人のエースピッチャー、堀内恒夫氏の長女と同級生でチュウさん」と呼ばれていました。
  • 新井貴浩さんは温厚で礼儀正しい性格で、先輩から可愛がられ、後輩からも慕われる人柄でした。特にチームメイトであった金本知憲さんにイジられるエピソードは多数あります。(張り手、ピンポンダッシュ、イタズラ電話など)阪神時代には西岡剛ら後輩にもイジられキャラとして愛されました。
  • 新井貴浩さんは英語で通訳なしで会話できるのです!監督の頃、キャンプの時にケムナ誠投手のアメリカ人の父親と談笑、ケムナ選手も通訳をしなかったと言っていました。その際、新井さんは「俺、英検2級だから。ガンガンしゃべれるよ!」と豪快に笑っていたとのエピソードがあります。

タイトル・受賞歴

新井と黒田が「県名誉市民」の称号を授与された

新井と黒田が「県名誉市民」の称号を授与された

新井貴浩さんは数々の受賞歴やタイトルの獲得があります。特に野球人として一番の誇りであるホームラン王の実績も!それではそれらの素晴らしい賞歴をご紹介しましょう

タイトル

  • 本塁打王:1回(2005年、43本)
  • 打点王:1回(2011年、93打点)
  • 日本プロ野球機構による表彰

    • 最優秀選手:1回(2016年)
    • ベストナイン:2回(一塁手部門:2005年、2016年)
    • ゴールデングラブ賞:1回(一塁手部門:2008年)
    • 月間MVP:2回(2005年6月、2008年3、4月)
    • JA全農Go・Go賞:1回(最多二・三塁打賞:2002年8月)
    • 優秀JCB・MEP賞:2回(2002年、2005年)
    • オールスターゲームMVP:1回(2013年第2戦)
    • オールスターゲーム優秀選手賞:1回(2002年第2戦)
    • オールスターゲーム敢闘選手賞:2回(2013年第3戦、2015年第2戦)
    • オールスターゲーム新人賞(2002年)
    • セ・リーグ連盟特別表彰(功労賞:2018年)
  • その他の賞

    • ベスト・ファーザー イエローリボン賞 「プロ野球部門」(2010年)
    • 報知プロスポーツ大賞(2016年)
    • 広島市民賞(2016年)
    • 広島県民栄誉賞(2016年)
    • 駒澤大学栄誉賞(2016年)

通算記録

2016年、神宮球場で200本目の安打を記録した後に記念のプレートを掲げる新井貴弘

2016年、神宮球場で200本目の安打を記録した後に記念のプレートを掲げる新井貴弘

特筆すべき新井貴浩さんの記録はなんといっても2000本安打でしょう。他にも日本のプロスポーツ選手として輝かしい様々な記録を積み上げてきました。それを以下にまとめます

  • 出場試合数:2383 試合 (2000試合出場は2015年で史上47人目)
  • 安打:2203 安打(2016年4月、対スワローズ戦にて達成、史上47人目)
  • 本塁打:319 本塁打 
  • 打点:1303 打点 
  • 盗塁:43 盗塁 
  • 打率:.278
  • 三振数:1693 三振(通算三振ランキング7位)

その他の記録

  • 全球団から本塁打(史上10人目)
  • 22試合連続安打
  • 6試合連続本塁打

新井貴浩のとっておき情報

タカヒロと新井からのアドバイス

タカヒロと新井からのアドバイス

それでは新井貴浩さんのあんなこと、こんなことをご紹介します。

  • 愛すべきイジられキャラ

    金本知憲さん(元・広島、阪神選手、元・阪神タイガース監督)の新井さんイジリは球界でもお馴染みです。金本さんは「趣味は新井イジリ」と公言するほど。遠征先のホテルでは新井さんの部屋を何度もピンポンダッシュして逃げたとか!その他野村謙二郎さんらカープOBのYouTubeでも新井さんのエピソードが語られたり、広島復帰の際にはチームメートから「新井さん、どのツラ下げて帰ってきたんですか会」と表して歓迎会が行われたり、と、憎めない愛されキャラ満開の日本球界の宝、新井貴浩さんです。

  • お馴染みになった新井さんの護摩行

    新井貴浩さんの護摩行はもうオフの恒例行事として広く周知されています。スポーツニュースでも燃え盛る炎の前でやけどにも耐え精神統一を計る姿がお馴染み!きっかけは阪神在籍時代に同じく元・広島東洋カープの金本知憲選手から勧められたことです。引退後も続けておりなんと21年連続で参加しているのですよ。ちなみに弟の新井良太さん(現・広島カープコーチ)を誘ったものの「俺は行かない」とあっさり断られたそう。

  • 実はガラケー愛用者

    新井貴浩さんはスマホを使用していなく、ガラケーしか持っていないという衝撃の事実が2023年に放映されたスポーツ番組内にて発覚しました!セントラルリーグ6球団チームの監督が全員揃った番組内の座談会にて、高校の先輩でもあるヤクルト・高津監督から「本当にガラケーしか持っていないのか?」とツッコまれ、年長の阪神・岡田監督、巨人・原監督からもかなり珍しがられました。解説者時代にはスマホにも挑戦してSNS投稿を行ったりしたものの、現在も最新のガラケーを使い続けているという噂があります。

まとめ

新井 貴浩さんの同期には、西武の松坂大輔選手や阪神の藤川球児選手など、多くのスター選手がいました。そんな中、新井さんはドラフト下位指名という実質「テスト入団」のような形でプロの道をスタートします。しかし、厳しいコーチの元で地道に練習を重ね、努力を積み重ねた結果、広島でも阪神でも4番打者を務めるまでに成長!数々の記録を打ち立てて、そしてプロ野球の一番名誉である監督の座にまで登り詰めました。現在の新井貴浩さんは、カープを率いて2年連続Bクラスに甘んじる少し苦しい立場にありますが、来季も続投が決定しています。来シーズンこそはベストなチーム作りと采配で、シーズン終了後には新井監督の笑顔が見られることを期待したいですね。

よくある質問

新井貴浩さんってどんな人?

広島市出身の元プロ野球選手、現・広島東洋カープの監督です。

新井貴浩さんが有名になったきっかけは?

新井貴浩の経歴は順調に進みました。ドラフトでは下位入団だったものの、4年目に全試合フル出場、オールスター出場を果たし、翌年に開幕4番の座を獲得してからカープの顔、となりました。

新井貴浩さんは何歳ですか?

1977年1月生まれですので2025年現在、48歳です。

新井貴浩さんの趣味や興味は何ですか?

よく知られているところでは護摩行(火を使って行う儀式、スポーツ選手が精神修行の一環として行うことも)を毎年シーズンオフに高野山で行っていることです。主な趣味の詳細はわかりませんが、引退してからはゴルフをしていると本人インタビューで答えています。

新井貴浩さんの国籍は?

国籍は日本です。在日韓国人でしたが、(帰化前の本名は朴貴浩 パク・グィホ)2004年に帰化しています。現在は日本人として活動しており、新井貴浩のプロフィールにもその経緯が示されています。