松田聖子
松田聖子(まつだ・せいこ)さんは福岡県出身、1962年生まれの歌手・シンガーソングライター・女優です。昭和の有名歌手・山口百恵さんの引退後、1980年代からトップアイドル歌手として君臨し、その後は海外進出も果たすなど常に日本の社会や音楽・芸能分野に大きな影響を与えてきたカリスマ的存在です。今回は、そんな松田聖子さんのプロフィールを紹介しながら、その人物像に迫ります。

松田聖子
基本情報
松田聖子さんの本名は蒲池法子(かまち・のりこ)。福岡県久留米市出身です。聖子さんは若い頃からアイドルとして絶大な人気を誇り、「ぶりっ子」ブームの先駆けとして1980年代の日本の音楽シーンを席巻しました。可憐なルックスと明るいキャラクターで多くのファンを魅了した彼女は、シンガーソングライターとしてもその才能を発揮し、松田聖子名義で数々のヒット曲やアルバムをリリース。デビューから40年以上経った現在もなお、第一線で活躍し続ける稀有な存在です。
経歴
松田聖子さんは1962年3月10日、福岡県久留米市荒木町生まれ。 堅実で真面目ないわゆるごく一般的な日本家庭に育ちましたが、若くして音楽に強い関心を持ち、地元の音楽教室に通って歌の練習を重ねました。聖子さんの父親は公務員で芸能界入りには最初反対していたものの、後には応援するようになったとのこと。母親は聖子さんの夢をそっと支える存在でした。また、8歳年上の兄がおり、現在は聖子さんの個人事務所で代表取締役を務めています。家族の支えが、彼女の長年にわたる歌手業・女優業の礎となっています。
学歴
福岡県久留米市で育った松田聖子さんは、1968年に久留米市立荒木小学校に入学し、1974年には久留米市立荒木中学校へ進学しました。1977年には久留米信愛女学院高等学校に入学しましたが、芸能活動に専念するため、後に上京して堀越高等学校芸能コースへ転校。高校時代にはすでに歌手としての夢を本格的に追い始め、芸能界への道を歩み始めました。その後は大学進学せず音楽の道に専念。しかし、有名になってからも学ぶ姿勢を持ち続けた松田聖子さんは2024年、62歳で中央大学法学部通信教育課程を卒業しています。
キャリア
松田聖子さんは高校入学後から本格的に歌手を目指し、さまざまなオーディションに挑戦します。高校2年生の時には「ミス・セブンティーンコンテスト」の九州地区大会で見事優勝を果たしますが、父親の反対や学校の規則により全国大会への出場は辞退することに。しかし、その圧倒的な歌唱力が関係者の目に留まり、歌手デビューへの道が動き出します。家族、とくに反対していた父親を根気強く説得し、ついに承諾を得て上京。1980年、「裸足の季節」で念願の歌手デビューを果たします。それ以来、シングルやアルバムのヒット、コンサートやディナーショー、テレビ・映画出演、さらには海外進出まで、常に第一線で輝き続け、日本を代表するエンターテイナーとして不動の地位を築いてきました。
私生活
松田聖子 家族history...
恋愛・結婚歴
松田聖子さんは、華やかな恋愛遍歴と複数回の結婚歴でも注目を集めてきました。18歳の頃には当時の恋人であった郷ひろみさんと結婚を誓い合う仲でしたが、破局。その後に行われた涙の破局会見は大きな話題を呼びました。そして、そのわずか1カ月後には俳優の神田正輝さんと電撃結婚し、「聖輝の結婚」として世間を驚かせました。翌年には長女・神田沙也加さんを出産。出産後は約1年間の休業を経て芸能活動に本格復帰します。しかし復帰後は外国人男性との交際報道などもあり、12年後に神田さんと離婚。その後、1998年に6歳年下の歯科医・波多野浩之氏と再婚しましたがこの結婚も約2年で終焉。3度目の配偶者は日本人歯科医であり大学准教授の河奈裕正氏です。
一人娘の死
娘の神田沙也加さんとは、アメリカでの同居生活や紅白歌合戦での親子共演など仲睦まじい姿も知られていましたが、一方で確執があったとも報じられました。近年では沙也加さんは独立して活動を行っていましたが、2021年、出演していたミュージカルの札幌公演中に宿泊先のホテル高層階から転落し、突然の死去という悲劇が訪れます。葬儀の場では、元夫・神田正輝さんと共に遺骨を持ち報道陣の前に現れた松田聖子さんの姿に、多くのニュースキャスターやファンが涙を流しました。
松田聖子の人物像
音楽業界をはじめ世間に影響力を与え続けてきた歌手・松田聖子さん。その性格や交友関係はどんなものでしょうか?どういった有名人のお友達がいるのかも気になりますよね。それではその人物像に迫ってみましょう。
ぶりっ子キャラ
松田聖子さんは、そのかわいいしぐさや話し方が「わざとらしい」と一部の芸能人や歌手・他のアイドルにからかわれ、「ぶりっ子」というあだ名をつけられました。この「ぶりっ子」という言葉は、「かわいい女の子のふりをする人」「わざと女らしさをアピールする人」という意味で、次第に日本中に広まっていきます。同性から反感を買うこともありましたが、それでもこの言葉は当時の流行語大賞にも選ばれるほどの注目を集め、「ぶりっ子といえば松田聖子」というイメージが定着。現在でも、松田聖子さんのかわいい姿は、インターネット上に画像としてたくさん残されています。
髪型
「聖子ちゃんカット」
写真はameblo.jpより 1980年代には聖子さんの髪型を真似た「聖子ちゃんカット」が世間の女性の間で大流行しました。 髪の長さは肩にかかる程度で、前髪は下ろしてサイドの髪は外巻きのレイヤード、バックは内巻きに仕上げたスタイルです。この髪型は当時の若い日本女性たちの憧れとなり、その影響力は後輩アイドル・女優たちにも波及。「花の82年組」と称される小泉今日子さん、松本伊代さん、堀ちえみさん、石川秀美さんらも同様の髪型でデビューしたほど80年代アイドルの定番スタイルとなりました。なお、松田聖子さん自身がこの髪型にしていたのはデビュー当時の約2年間ほどで、その後はショートヘアなど違う髪型にしています。
語学力と海外出演
聖子さんは、1990年のアメリカでの歌手デビューに向けて徹底的に英語を学び、CNNのインタビューなどでその堪能な英会話力を披露しました。また、2005年の台湾公演では北京語を披露する場面もあり、多言語への意識の高さがうかがえます。そのほかにも、アメリカのSF映画『アルマゲドン』や人気サスペンスドラマ『BONES』に出演するなど、海外での活動も積極的に行ってきました。さらに、アイドルとして人気絶頂期にもかかわらずハワイへ短期留学を果たし、アメリカ滞在中には現地の交際相手がいたという話も有名です。性格的にとても真面目なのもあって常に英語の上達を意識して過ごしていたようで、滑らかな発音で流暢に話す映像も残っており、相当の実力を示しています。
交友関係
アイドルとしてのデビュー当時、聖子さんは同期である岩崎良美さんや浜田朱里さんと特に仲が良かったそうです。中でも堀越高校の同級生である岩崎良美さんとは、聖子さんの結婚後も長く付き合いがあります。同期といえば田原俊彦さんとも歌番組やCMで共演する機会が多く、良き友人という仲だとか。近藤真彦さんとは、かつて同じレコード会社に所属していたこともあり、共演機会も多く昔からの親しい間柄です。少し意外なところでは、元夫・神田正輝さんの友人であるモト冬樹さんとも家族ぐるみの付き合いがあり、自宅に招いて手料理を振舞ったこともあるそうです。また、先輩歌手の小柳ルミ子さんには長年にわたり妹のように可愛がられてきました。
ディスコグラフィー
松田聖子さんのヒット曲は、とてもひと言では語りきれないほど多数あります。45年にわたるキャリアの中で、シングルは80曲以上、アルバムは50枚以上をリリースしています。聖子さんの楽曲は、歌詞の魅力はもちろんのこと、覚えやすいメロディも特徴で、令和の時代になっても多くの人に歌い継がれています。ここでは、その中から代表的な曲をいくつかご紹介します。
『青い珊瑚礁』 (1980年)
『青い珊瑚礁』は松田聖子さんのデビューから2枚目のシングル曲です。松田聖子を歌手として世に広めたといってよい初期の代表曲であり、力強いキュートな声で歌われる冒頭から印象的なメロディは、多くの中年世代にとって馴染み深いものとなっています。CMや春の選抜高校野球の入場行進曲にも選ばれました。
『瑠璃色の地球』 (1986年)
『瑠璃色の地球』は松田聖子さんの13枚目のアルバム『SUPREME』に収録された楽曲。妊娠中にレコーディングされ、出産休業中に発売されました。シングル曲ではないものの高い人気を誇り、多くのアーティストによってカバーされ、日本の高校の教科書にも掲載されました。
『赤いスイトピー』 (1982年)

松田聖子「赤いスイートピー」(Seikoland 武道館ライヴ '83 より)
『赤いスイトピー』 は「春色の汽車に乗って~」の歌詞でお馴染み、松田聖子さんの代表曲です。8枚目のシングルになり、カップリングの「制服」も人気を博した歌でした。作詞・松本隆、作曲・松任谷由実のゴールデンコンビによる名曲、時代を超えて愛され続けています。
『SWEET MEMORIES 』 (1983年)
『SWEET MEMORIES 』は松田聖子さん14枚目のシングル曲。元はB面(シングル盤のメイン曲がA面、その他をB面という)であった曲でしたが、サントリービールのCMに起用されたことから注目を集め、後にA面として再発売されました。2番の一部歌詞は英語詞であり、大人っぽい雰囲気で歌われています。
映画・ドラマリスト
アイドルとして女優として、常に大活躍の松田聖子さん。ラジオ番組やドキュメンタリー、バラエティ番組、アニメなどのテレビ出演、そして映画にCMと、その活躍は多岐にわたっています。以下は松田聖子さんの主な出演映画とドラマ一覧です。
テレビドラマ | ||
---|---|---|
1979年 | おだいじに (日本テレビ) | 松田聖子 役 |
1989年 | 風に恋して(テレビ朝日) | 三枝あやこ 役 |
1992年 | 季節外れの湾岸物語(フジテレビ) | 優香子 役 |
1997年 | The Big Easy (USAネットワーク) | Yuki |
2004年 | たったひとつのたからもの(日本テレビ) | 佐藤由美 役 |
2012年 | 大河ドラマ「平清盛」(NHK) | 祇園女御・乙前 役 |
映画 | ||
1981年 | 野菊の墓 | 初主演・民子 役 |
1983年 | プルメリアの伝説 天国のキッス | 主演・早坂恵美子 役 |
1985年 | ペンギンズ・メモリー 幸福物語 | ジル 役 |
1998年 | Armageddon(アルマゲドン) | カメオ出演 |
2001年 | 千年の恋 ひかる源氏物語 | 揚げ羽の君 役 |
2008年 | 火垂るの墓 | 雪子 役 |
2019年 | 家族のレシピ | 美樹 役 |
ラジオ・CM等出演リスト
以下はラジオ番組、ドキュメンタリー、バラエティ番組、アニメそしてCMの出演一覧です。
ラジオ番組
- 中塚政幸のガッツガッツナイト(1980年12月 - 1981年3月、TBSラジオ)
- スーパーギャング(1987年5月18日、TBSラジオ)
- 松田聖子のピンクのスニーカー(1980年10月 - 1983年3月、文化放送)
- SONY Night Square 松田聖子 夢で逢えたら(1981年4月 - 1983年3月、ニッポン放送)
- ザ・パンチ・パンチ・パンチ(1980年1月 - 12月、ニッポン放送)
- 愛にくちづけ(1983年10月 - 1985年3月、ニッポン放送)
- 今日は一日"松田聖子"三昧(2021年11月3日、NHK-FM)ゲスト出演
オールナイトニッポンシリーズ(ニッポン放送)
・松田聖子のオールナイトニッポン(1986年6月、1987年4月、1987年11月、1989年6月、1990年11月、2008年5月19日)
・松田聖子のオールナイトニッポンGOLD(2010年5月28日、2010年12月15日、2011年6月2日、2013年6月21日、2018年6月8日、2020年9月30日)
・松田聖子のオールナイトニッポンMUSIC10(2015年10月 - 2018年3月)- 火曜日・月1回担当
ドキュメンタリー

松田聖子 風に向かって歌い続けた40年
NHKスペシャル 松田聖子 女性の時代の物語(2007年4月9日、NHK総合)
※初のドキュメンタリー番組出演
NHK MUSIC SPECIAL 松田聖子スペシャル 風に向かって歌い続けた40年(2020年9月22日、NHK総合)
※デビュー40周年記念番組。後日、未公開シーンを追加編集した「ロング・バージョン」「完全版」が放送された
バラエティ番組
- 8時だョ!全員集合(1980年 - 1985年、TBS)※ゲスト出演
- ドリフ大爆笑(フジテレビ)※ゲスト出演
- たのきん全力投球!(TBS)※ゲスト出演
- ヤンヤン歌うスタジオ(テレビ東京)※ゲスト出演
- 歌謡ドッキリ大放送!!(テレビ朝日)※ゲスト出演
- カックラキン大放送!!(日本テレビ)※ゲスト出演
- さんまのまんま(1986年6月9日、1991年1月3日、1991年10月12日、2007年4月20日、関西テレビ)
- とんねるずのみなさんのおかげです(1988年 - 1997年、フジテレビ)※ゲスト出演
- 志村けんのだいじょうぶだぁお茶の間に笑顔をSP(2015年11月25日、フジテレビ)
- 志村けんのバカ殿様笑いのお年玉スペシャル(2016年1月5日、フジテレビ)
テレビアニメ
- キング・オブ・ザ・ヒル(2002年5月、FOX)音楽ゲームをする女の子 役(ゲストキャラクター)
- タマ&フレンズ 探せ!魔法のプニプニストーン(2006年11月、アニマックス)PawPaw 役
- ドラえもん(2007年8月、テレビ朝日)本人 役(特別ゲスト)
CM
江崎グリコ
アーモンドチョコレート&セシルチョコレート(田原俊彦と共演)(1980年 -1981年)
大阪ガス
ガスファンヒーターエアコン(歌:CMオリジナル・複数曲あり)(1985年)
サントリー
CANビール(歌のみ:SWEET MEMORIES、ボーイの季節(English Version)、Blue Love Letter(English Version)、CMオリジナル曲)(1983年 -1985年)
江崎グリコ
アーモンドチョコレート&セシルチョコレート(田原俊彦と共演)(1980年 -1981年)
大京
ライオンズマンション(神田沙也加と共演)(歌:逢いたい)
サントリー
CANビール(歌のみ:SWEET MEMORIES、ボーイの季節(English Version)、Blue Love Letter(English Version)、CMオリジナル曲)(1983年 -1985年)
日清食品(1994年)
家族のやきそば(神田正輝、神田沙也加と共演)
- 日本和装(2017年~2021年)
富士フイルム(2008年~2011年)
アスタリフト(中島みゆき、小泉今日子、高畑充希らと共演)
P&G(2017年)
キッチン専用ファブリーズ(遠藤憲一と共演)
書籍
松田聖子さんは、アイドル時代から1990年代ごろまでに自身の著書や写真集を多数上梓しています。単なる歌手としてだけではなく、日本中に大きな影響を与えてきた有名人なだけに、多方面から関連書籍も数多く出版されています。
松田聖子著書

『もう一度あなた』ワニブックス(1981年)
アイドル時代に出版された著書の中には絶版になったものもあり、希少価値があるとしてオークションサイトでは高値で売られていることも!最初の結婚直後に出版された『聖子』は「神田法子」の本名にて初めて自らの半生を綴り、大きな話題を呼びました。
- 『両手で聖子』集英社(1981年)
- 『もう一度あなた』ワニブックス(1981年)
- 『夢で逢えたら』ワニブックス(1982年)
- 『聖子20歳 愛と歌の青春譜』少年画報社(1982年)
- 『青色のタペストリー』CBS・ソニー出版(1982年)
- 『夢で逢えたらパート2』ワニブックス(1983年)
- 『愛にくちづけ 22歳のプレリュード』リビングマガジン(1984年)
- 『聖子』小学館 (1985年)
- 『勇気を出してSay Hello! Live Talk English』集英社 (1991年)
- 『愛する人に』稲越功一 写真 朝日出版社 (1995年)
関連書籍
松田聖子さんの「育ての親」と言われる、デビューのきっかけを作ったサンミュージックの相澤秀禎会長による著書もいくつか出版されています。聖子さんをモデルにしたアイドル論や、現代に生きる女性へのメッセージを綴った関連書籍も多いです。
- 『松田聖子大百科』実業之日本社(1981年)
- 『野菊の墓大百科』勁文社(1981年)
- 『松田聖子アイドル百科2』勁文社(1982年)
- 『松田聖子のバランスシート』相澤秀禎著 光文社(1984年)
- 『松田聖子の世界』放送映画出版(1984年)
- 『聖子のシンデレラ・ロード』相澤秀禎著 光文社(1985年)
- 『聖子の恋のありったけ』相澤秀禎著 講談社(1985年)
- 『憧れて・・・ジューンブライド』光文社(1985年)
- 『愛ゆえに、聖子!』相澤秀禎著 講談社(1986年)
- 『松田聖子』地球音楽ライブラリー TOKYO FM出版(2004年)
- 『松田聖子 改訂版』地球音楽ライブラリー TOKYO FM出版(2007年)
- 『松田聖子論』小倉千加子著。朝日新聞社(1989年)
- 『魔性のシンデレラ 松田聖子ストーリー』大下英治著 角川書店(1989年)
- 『松田聖子の誕生』若松宗雄著 新潮新書 (2022年)
写真集
松田聖子さんはこれまでに多くの写真集を発表しており、そのどれもが時代ごとの魅力を映し出しています。デビュー初期の爽やかな姿から、大人の女性としての気品あふれる表情まで、写真集は彼女の歩みを記録する貴重なビジュアル作品です。特にアニバーサリーイヤーに発行された記念写真集は、ファンにとって特別な存在となっています。
- 『Seiko-1980』 集英社(1980年)
- 『風立ちぬ 松田聖子写真集』 集英社(1981年)
- 『SEIKO in HAWAII』 ワニブックス(1982年)
- 『Canary – 松田聖子写真集』 集英社(1983年)
- 『聖子の素顔』 小学館(1985年)
- 『Seiko Private』 CBS・ソニー出版(1986年)
- 『Seiko ’91』 集英社(1991年)
- 『Bible – 松田聖子写真集』 角川書店(2001年)
- 『Seiko Matsuda 2010』 ワニブックス(2010年)
- 『青い珊瑚礁 SEIKO 40th Anniversary』 集英社(2020年)
受賞歴
松田聖子さんの歌手としての受賞歴は輝かしいものです。80年代は歌謡祭、音楽祭の新人賞を総ナメ、そして権威ある日本レコード大賞では新人賞をはじめ金賞、ベストアルバム大賞など多数を獲得しています。他に映画やドラマの受賞歴もあります。ここでは有名なものをご紹介します。
音楽祭・歌謡祭関連
- 日本テレビ音楽祭 新人賞
- 歌謡新人グランプリ グランプリ
- 銀座音楽祭 専門審査員奨励賞
- 新宿音楽祭 金賞
- 横浜音楽祭 新人賞特別賞
- テレビ朝日あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭 最優秀新人賞
- 日本歌謡大賞 新人賞
- FNS歌謡祭 新人賞
- 日本有線大賞 新人賞
- 全日本有線放送大賞 新人賞
- CBS・ソニー ヒット賞
- 日本テレビ音楽祭 トップアイドル賞
- テレビ朝日あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭 ゴールデングランプリ
- 日本歌謡大賞 最優秀放送音楽賞
- CBS・ソニー ヒット賞
- 日本テレビ音楽祭 トップアイドル賞
- テレビ朝日あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭 ゴールデングランプリ
- 日本歌謡大賞 最優秀放送音楽賞
日本レコード大賞関連
- 第22回日本レコード大賞新人賞
- 第23回日本レコード大賞ゴールデンアイドル賞
- 第24回日本レコード大賞金賞
- 第25回日本レコード大賞金賞・ベストアルバム賞
- 第28回日本レコード大賞アルバム大賞
- 第34回日本レコード大賞最優秀ボーカル賞
- 第55回日本レコード大賞企画賞
- 第57回日本レコード大賞最優秀歌唱賞
- 第59回日本レコード大賞企画賞(Seiko Matsuda名義)
- 第62回日本レコード大賞特別賞
その他の賞
- 第19回ダイヤモンド パーソナリティ賞(ダイヤモンド・インフォメーション・センター)
- 第40回ゴールデンアロー賞 ゴールデン・スター賞女性部門
- 第18回日本映画批評家大賞審査員特別賞(映画『火垂るの墓』)
松田聖子のとっておき情報
ここでは松田聖子さんのあんなこと、こんなことをまとめました。
豪華絢爛!聖子さんのディナーショー
松田聖子 クリスマスディナーショー2024 年12月14日 東京 新高輪プリンスホテル 飛天の間
ファンの間では恒例行事で、「一度は行ってみたい」と憧れる人も少なくないのが松田聖子さんの豪華クリスマスディナーショー。料金が5万円以上にもかかわらず、チケットは毎回入手困難なほどの人気ぶりを見せています。会場は800人から1000人規模を収容できる一流ホテル。フランス料理のフルコースや高級アルコール類が提供され、ステージでは1980年代の若い頃の懐かしいヒット曲からベストアルバム収録曲、ジャズナンバー、ダンスナンバーまでが歌われ、何から何までがゴージャス。素晴らしいひと時を楽しめます。著名人や芸能人も毎回多数訪れているほど、その注目度は非常に高いイベントです。娘・神田沙也加さんの死去直後は開催が中止となったものの、翌年には無事復活。2025年の開催については現在まだ発表されていないようですが、期待は高まるばかりですね。
元祖「ママドル」の光と影
松田聖子さんは、デビュー前に結婚・引退し家庭に入ったアイドルスター・山口百恵さんと、たびたび比較されてきました。今でこそ、結婚・出産後も第一線で活躍する歌手やタレントは珍しくありませんが、当時の聖子さんには多くのバッシングがあったのも事実です。それでも、「ママになっても自由に生きる」というスタイルは多くの日本女性たちから支持を集めました。彼女の生き方は、いつの時代も注目を集め、賛否を呼び起こしてきました。恋愛遍歴や離婚、海外進出など、公私にわたる話題のたびに、娘・神田沙也加さんとの関係も揺れ動きます。紅白歌合戦での共演など仲睦まじい姿がある一方で、確執が報じられることもありました。そして最終的には、娘の突然の死という悲しい出来事を迎えることになってしまいました。
まとめ
昭和、平成、令和と3つの時代をまたいで輝き続ける「永遠のアイドル」松田聖子さん。その存在感は、現在60代となった今もなお健在です。出産後には一時引退も考えたようですが、若い頃よりセルフプロデュースにも長けており、自らの意志で常に新しい挑戦を続けてきました。デビューから45周年を迎えた今、再度の海外進出の兆しも見られます。国内外を問わず、その活躍から目が離せない日々がまだまだ続きそうです。
よくある質問
松田聖子さんに関するよくある質問をまとめました
松田聖子はどのくらい有名なのですか?
今日でも日本ではかなりの人気です。80年代からアイドル歌手を見ていた人なら彼女のことを知らない人はいないでしょう。90年代始めには海外にも進出し、各国に彼女の根強いファンもいます。
松田聖子は現在結婚していますか?
現在は2012年に結婚した大学准教授で歯科医の夫がいます。3度目の結婚です。
松田聖子ってどんな人?
80年代のトップアイドルとして君臨した、日本を代表する歌手です。デビューから40年あまり経った現在も「永遠のアイドル」と称されています。
松田聖子の最も有名な曲は何ですか?
たくさんあれど、一つあげるなら「赤いスイートピー」ではないでしょうか。松本隆作詞、松任谷由実作曲のゴールデンコンビによる大ヒット曲です。カバーバージョンも実に30例以上にのぼり、また、高校音楽の教科書にも掲載されたことがあります。
松田聖子は自身で曲を作っていますか?
80年代から作詞・作曲を行っており、以降はアルバムのプロデュースにも取り組むなどシンガーソングライターとしても活動しています。