人物

吉田麻也(Maya Yoshida)

吉田 麻也Maya Yoshidaさんは1988年生まれの日本のプロサッカー選手です。現在はメジャーリーグサッカー・ロサンザルスギャラクシーに所属し、ポジションはディフェンダー。日本プロサッカー選手会会長としての活動や慈善活動など、輝かしい選手キャリアとともに日本のプロスポーツ界にも大いに貢献しています。ここでは、そんな吉田麻也さんの功績を紹介しながらその人物像に迫ります。

山本 光代

目次
吉田麻也

基本情報

日本代表のディフェンダーとして活躍し、戦術理解とゲームを読む力に優れた吉田 麻也さん。なお、同姓のプロ野球選手である「吉田正尚」とは別人物で、競技は異なりますが、トップ選手に共通するのは状況判断と継続的な準備の徹底ですここでは、吉田麻也の魅力を3つのポイントに分けてご紹介します

  1. 日本代表歴代主将として長年活躍

    2007年に名古屋グランパスエイトに入団後、日本代表の歴代主将としてチームを長年けん引し、守備の要として安定感を発揮してきました。そして若手の手本にもなり、精神的支柱としても高く評価されています。

  2. センターバックとして欧州クラブで経験豊富

    日本のチームだけではなく欧州の名門クラブでもプレーし、プレミアリーグやセリエAなどで豊富な経験を積んだセンターバックです。高い戦術眼と安定した守備が特徴なのに加え、英語をはじめとした優れた語学力も評価されプレミアリーグの主将経験もあります。

  3. 冷静な判断力とゲームコントロールに定評がある

    吉田麻也さんの持ち味は優れたリーダーシップにあります。冷静な判断力と的確な指示で試合を統率するリーダーで状況判断に優れ、守備ラインを整えながらチームを牽引し、ゲーム全体をコントロールする能力に長けているスポーツ選手です。

吉田麻也のプロフィール

吉田麻也さんのプロフィールは以下の通りです。

🧑 氏名

吉田麻也(よしだ まや)

📅 生年月日

1988年8月24日

📍 出生地

長崎県長崎市

📏 身長

189cm

⚖️ 体重

87kg

🩸 血液型

O型 

🏃 利き足

⚽ ポジション

DF

✔️ 経歴

名古屋グランパス-VVVフェンロー-サウサンプトン-サンプドリア-シャルケ-LAギャラクシー

🏆 プロ入り

2007年 名古屋グランパスエイト

経歴

吉田麻衣と娘

吉田麻衣と娘

吉田麻也さんは1988年、長崎県長崎市生まれ。若い頃からスポーツが得意でサッカーに熱中し、吉田麻也さんの父親が地元クラブチームに通わせるなどして才能を発揮しました。12歳で名古屋グランパスのユースセレクションに合格、中学生で親元を離れます。吉田麻也さんの兄弟である長兄のサポートのもと名古屋で二人暮らしを始め、2007年に名古屋グランパスに入団しプロ選手としてのキャリアをスタート。その後、オランダ、イングランド、イタリア、ドイツなど欧州リーグへ渡り活躍し、日本代表としてもワールドカップやオリンピックに選出されました。

学歴

吉田麻也さんの出身中学は愛知県のみよし市立北中学校です。小学校は出身の長崎県でしたが、名古屋グランパスU-15、ユースチームに合格したことにより親元を離れ、兄と共に中学校から愛知県に移住します。高校はチームの提携校ではなく愛知県立豊田高校に進学、それは将来は海外挑戦も視野に入れ語学や勉学にも励みたいとの理由からでした。そして勉強とスポーツの両立を図りながら実力を磨いていきます。大学には進学せず、2007年に名古屋グランパスに加入しプロ入りを果たし、日本代表チームでも中心的存在として活躍するようになりました。尚、プロ入り後に早稲田大学人間科学部の通信教育課程(eスクール)に入学し2019年に卒業、卒業時には「小野梓記念賞」の褒賞も獲得しました。

家族・プライベート

吉田麻也さんは3兄弟の末っ子で5人家族、父母は長崎県内で下宿を経営しており、父親はサッカー経験者だそう。下宿を営む両親を見て育ったからか炊事洗濯は完璧!チームからも「女だったら嫁にしたい候補ナンバー1は吉田麻也」と言われていました。長男のすすめで名古屋グランパスエイトのセレクションを受け、合格したことから中学校から親元を離れ、長男と愛知県に移住します。吉田麻也さんには華やかな女性関係はほとんど聞かれなく、24歳の時に一つ下の一般女性と結婚、お嫁さんについては詳細はあまり公表していないものの、彼の一目ぼれだったそう。そして2016年に長女が誕生します。奥さんと同様吉田麻也さんは子供についても名前や顔などは公開しておりませんが、自身のインスタグラムには後ろ姿で少し登場しています。ほのぼのとした温かい雰囲気が感じ取れ、娘さんを愛している良きパパの吉田麻也さんが想像できますね!

サッカー界での経歴

サッカー選手としてのキャリア:吉田麻也

サッカー選手としてのキャリア:吉田麻也

長崎市の南陵FCで小学2年生のときにサッカーを始めた吉田麻也さん。若い頃からチームをまとめる力に優れ、グランパスU-15時代にはそのリーダーシップが評価され、守備の中心としてプレーするようになります。その後、豊田市のトヨタU-18チームでも活躍し、日本U-18代表にも選出。着実に成長を重ね、2007年にはついにトップチームへ昇格しました。ここでは、彼が日本を代表するサッカー選手へと成長していった歩みを、時代ごとに振り返っていきます

名古屋グランパスエイト時代

吉田麻也 名古屋グランパスエイト時代

吉田麻也 名古屋グランパスエイト時代

吉田麻也選手は名古屋グランパスで2007年にトップ昇格。主力退団で層が薄くなる中、フェルフォーセン監督に才能を見込まれ、センターバックで起用され19試合に出場。2008年はストイコビッチ監督の信頼を得てレギュラーとして活躍。吉田麻也選手はJリーグのゲーム以外でも北京五輪のメンバーに選出されます。その後も22試合に出場し鹿島戦で初得点を記録。時にはFWとしても起用されました。2009年には背番号4を継承し、守備の中心として25試合に出場。シーズン終了後、オランダのVVVフェンローへ移籍します。

VVVフェンロー時代

吉田麻也 VVVフェンロー時代

吉田麻也 VVVフェンロー時代

吉田麻也選手は2009年にVVVフェンローへ移籍直後、練習試合で左足首を骨折し初年度は出場なし。2010年に背番号3へ変更し、フローニンゲン戦でオランダデビューと初アシストを記録しました。翌シーズンから出場機会を増やし、2011年のPSV戦で決めた豪快なジャンピングボレーが「シーズンベストゴール」に選ばれます。2011-12シーズンは主力として5得点を挙げ、吉田麻也選手はチームの残留と50年ぶりの4連勝に貢献、その活躍が認められサウサンプトン移籍へつながりました。

サウサンプトン時代

吉田麻也 サウサンプトン時代

吉田麻也 サウサンプトン時代

吉田麻也選手は2012年8月にイングランドのサウサンプトンへ移籍しプレミアリーグ(イングランドのプロサッカー1部リーグのこと)に初挑戦しました。移籍当初からレギュラーを確保し、2013年1月にはマンチェスター・ユナイテッド戦で香川真司選手とのプレミアリーグ史上初の日本人対決を実現。2014年2月にはリーグ初ゴールも記録しました。その後は怪我や新たなDFの加入により出場機会が減少したり、本職ではないサイドバックで起用されたりする苦しい時期もありました。しかし、2016-17シーズンに状況が一変。吉田麻也 所属チームキャプテンの移籍と主力DFの負傷離脱を機にレギュラーに定着し、EFLカップ決勝では大会ベストイレブンに選出。日本人選手初のプレミアリーグ100試合出場も達成しました。2017-18シーズンにはクラブ月間MVPを獲得するなど活躍を続けましたが、2019-20シーズンのレスター戦での大敗後は出場機会が激減し、このクラブでのキャリアを終えることとなりました。

サンプドリア時代

吉田麻也 サンプドリア時代

吉田麻也 サンプドリア時代

吉田麻也選手は2020年1月31日、セリエAのUCサンプドリアへ半年間のレンタル移籍で加入。3月8日のエラス・ヴェローナ戦でセリエAデビューを果たし、7月12日のウディネーゼ戦で初アシストを記録します。2021年1月に契約を2022年6月まで延長し、1月24日のパルマ戦でセリエA初ゴールを決めました。2021-22シーズンも活躍を続け、9月26日のユヴェントス戦ではヘディングで得点し、チームの勝利に大いに貢献しました。

シャルケ時代

吉田麻也 シャルケ時代

吉田麻也 シャルケ時代

2022年7月、吉田麻也選手はドイツ・ブンデスリーガのシャルケ04と1年契約を締結。1部昇格に貢献した日本人プレーヤー板倉滉選手の後を継ぐ形で加入し、キャプテンとして守備を支えました。公式戦31試合に出場し奮闘したもののチームは残念ながら2部降格が決定。契約更新は叶わず、2023年6月に退団となりました。わずか1シーズンの在籍でしたが、リーダーシップでチームをまとめ、ファンに強い印象を残しました。

ロサンゼルス・ギャラクシー時代

吉田麻也 ロサンゼルス・ギャラクシー時代

吉田麻也 ロサンゼルス・ギャラクシー時代

2023年8月、吉田麻也選手はメジャーリーグサッカーMLS)のLAギャラクシーに1年半契約で加入し、背番号4を背負います。9月のロサンゼルスFC戦で移籍後初ゴールを記録。翌2024年からはキャプテンに就任し、かつてはベッカムやイブラヒモビッチら名選手が在籍したこの名門クラブを後方から支えました。MLSカップ決勝ではニューヨーク・レッドブルズを破り、キャプテンとしてチームを優勝に導き、これが自身初のクラブタイトルとなりました。吉田麻也選手は現在もLAギャラクシーに所属しており、2025年1月には、2026年シーズン終了までの契約延長に合意したことも報じられています。

代表的な経歴

Team Cam vol.13|ベスト8への壁 クロアチア戦の舞台裏|FIFA World Cup Qatar 2022™ Nov-Dec 2022

吉田麻也さんは日本代表の不動のセンターバックとして、FIFAワールドカップに3大会(2014,2018,2022)、オリンピックに3度(2008,2012,2021)出場し、歴代最多タイの出場数を記録した守備の要です。それらを含め輝かしい吉田麻也さんの代表的な遍歴をご紹介します

  • 2011年 AFCアジアカップ2011(優勝)
  • 2013年 FIFAコンフェデレーションズカップ2013
  • 2014年 2014FIFAワールドカップ ブラジル
  • 2015年 AFCアジアカップ2015(ベスト8)
  • 2016年 キリンカップサッカー2016
  • 2017年 2018 FIFAワールドカップロシア予選
  • 2018年 2018 FIFAワールドカップ ロシア
  • 2019年 AFCアジアカップ2019(準優勝)キャプテンを務める
  • 2022年 2022 FIFA ワールドカップ カタール キャプテンを務める

オリンピック代表詳細

吉田麻也、日本代表チーム

吉田麻也、日本代表チーム

2008年、北京オリンピックではU-23日本代表として出場。2012年にはロンドンオリンピックに出場するU-23日本代表にオーバーエイジ枠として選出。吉田麻也さんは本大会では守備の要・主将としてチームを牽引します。準々決勝のエジプト戦ではセットプレーからゴールを決める活躍を見せました。そして2021年、東京オリンピックではU-24日本代表にオーバーエイジとして選ばれ、オリンピック日本代表として実に3度目の選出となりました。グループリーグは3連勝、そして準々決勝のニュージーランド戦ではPK戦で最後のキッカーとしてPKを成功させたものの、準決勝のスペイン戦と3位決定戦のメキシコ戦に敗れてメダル獲得はなりませんでした。

FIFAワールドカップ代表詳細 

サッカー選手としての一番の名誉、FIFAワールドカップへも吉田麻也さんは日本代表のディフェンスリーダーとして3大会のワールドカップで活躍しました。2018年ロシア大会では、チームのベスト16進出に貢献し、ディフェンスの中心として揺るぎない地位を確立しました。大会後、長谷部誠選手の引退に伴いキャプテンに就任。その後、一時は吉田麻也さんは代表復帰が危ぶまれる時期もありましたが、強いリーダーシップと経験で最終予選を突破し、2022年カタール大会でキャプテンとしてチームを牽引。グループリーグでドイツ、スペインを破る死の組突破の快挙を成し遂げました。長年にわたり日本代表の守備の要として常に世界と戦い続け、偉大な功績を残しています。

サッカー以外の吉田麻也情報

吉田麻也の普段の生活

吉田麻也の普段の生活

ここでは、サッカー以外の吉田麻也さんのエピソードをお送りします。

  • 元・日本代表チームで活躍したFWの本田圭佑(ほんだ・けいすけ)さんは憧れの存在だそうです。キャリアの初期から共に過ごし、海外挑戦のきっかけを与えた先輩であり、刺激的な人物であるとのこと。
  • 本格的にサッカーをするきっかけを作り、中学生で親元を離れ名古屋でも生活面でサポートを続けた7歳年上の兄には頭が上がらない、そしてかけがえのない大切な存在とのこと。
  • 他のプロスポーツ選手とは遠縁にあたります。元プロ野球選手でダイエー、日本ハム、阪神、楽天でプレーをしていた下柳剛(しもやなぎ・つよし)(いとこの妻の弟)、ガールズ競輪の高木佑真(たかぎ・ゆま)(はとこ関係)だそうです。下柳さんは吉田麻也さんの試合をイングランドまで見に行ったこともあるんだとか。
  • 4〜5歳の頃に道路へ飛び出して車に跳ねられて約5メートル飛ばされ、路面電車の線路の上に落ちたものの5秒後にスクッと起き上がり病院の診断も異常なかったという逸話も!これがまさしく彼の神がかり的スポーツ人生のスタートだったのですね。
  • 吉田 麻也選手は、名古屋グランパス時代から記者会見などでギャグを披露し、場を和ませるサービス精神の持ち主です。2013年にW杯出場を決めた後の記者会見では、お笑いコンビ「サバンナ」の八木真澄さんの持ちギャグを披露しましたが、見事に!スベってチームメイトや周囲の失笑を買ってしまいました。

メディア出演・書籍

吉田麻也の本

吉田麻也の本

吉田麻也さんはCMをはじめ日本のメディアにも多く出演しています。それらをご紹介します。

【テレビ番組】

  • 情熱大陸「800回記念 ぼくらは、1988年生まれ」(TBS)
  • スポーツ×ヒューマン(NHK総合)
  • 欧州で“生き残る” 長谷部誠×岡崎慎司×吉田麻也」
  • 苦しいときこそ真価を見せろ 〜日本代表キャプテン・吉田麻也〜」

【CM】

  • キリンビバレッジ「ボルヴィック」(2013年)
  • O maior show da terra está a caminho” Budweiser Brasil (2014年)
  • ジャパネットたかた「ジャパネットウォーター 富士山の天然水」(2019年)
  • オンラインカジノVera& John「Vera& John無料版」(2021年)
  • 朝日インテック(2018年〜)
  • 挑戦」篇 (2020年) 「グローバルリモートワーク」篇 (2021年)

【MV】

  • Rin音Blue Diary」(2022年)Z世代の日本人男性ラッパーRin音

【ラジオ】

  • 吉田麻也のチャレンジ&カバー(JFN38局ネット・AuDee配信)
  • 吉田麻也の切り替えて行こう!(TOKYO FM)

【書籍】

  • サムライDays、欧州Days ~夢と、サッカーと、ブログと~』学研、2012年
  • 増刊 マヤニスタ』ベースボール・マガジン社、2013年
  • 旅するサッカー』ソル・メディア、2014年

受賞歴

吉田麻也 LAギャラクシー年間最優秀DF賞獲得

吉田麻也 LAギャラクシー年間最優秀DF賞獲得

世界で認められている日本人サッカー選手・吉田麻也さんは、これまでに国内のみならず、国際的な賞も獲得しています。それらをご紹介します。

2019年

  • 早稲田大学小野梓記念賞スポーツ部門)」受賞

    (プロ入り後に早稲田大学人間科学部通信教育過程に入学。卒業時に抜群の成果をあげ、学生の模範と認められた者に与えられるこの賞を受賞)

2024年

  • LAギャラクシー年間最優秀DF賞獲得

    (全試合にキャプテンとしてフル出場し、チームの10年ぶり全米制覇に大きく貢献したことから選出)

吉田麻也さんのとっておき情報

マヤ・ヨシダ特別情報

マヤ・ヨシダ特別情報

ここでは吉田麻也さんのあんなこと、こんなこと、をお送りします。

  • スペインに生き別れの兄弟が?!

    2022年カタールワールドカップではそっくり!とかなり話題になった2人がいます。そう、それがこの吉田麻也と元・スペイン代表MFセルヒオ・ブスケツ選手です。以前より容姿が似ていると言われておりましたが、試合前のコイントスの際に顔を合わせて握手を交わすと、SNS上で「生き別れた兄弟」「双子だ」と大バズリ!共に1988年生まれ、そして共に身長189センチ、面長の顔に短髪刈り上げのヘアスタイルも同じだという偶然!初めて会った時はお互いに「あまりに似ていた」と驚き親近感を持ったそうです。現在ブスケツ選手は現役を退いていますが、吉田麻也さんはまだまだ日本のサッカー界を引っ張って行って欲しいですね、弟として。(ブスケツ選手のほうが約1か月早く生まれています)

  • カジノの広告塔に?!

    吉田麻也さんは、かつてオンラインカジノサービスである「ベラジョン」無料版のアンバサダーを務め、2021年から2023年6月までCMに出演していました。所属事務所は、CM出演の時点で現金授受が発生しない無料オンラインゲームであると認識し、契約を受諾したと説明しており、CM出演の契約は無料版のサービスに限定、刑法の賭博罪には該当しないと考えているとしていました。しかし違法カジノのPRにつながるという指摘や、社会情勢を鑑み2023年6月に契約を終了。当時の認識が不十分であったとして関係者へのお詫びを表明しています。近年では他スポーツ選手や芸能人、著名人の違法オンラインカジノの話題も少なくはありませんので、吉田麻也さんに非はないものの契約終了は当然の判断でした。

  • まやという名前の由来は

    「麻也」という素敵な名前の由来にはいくつかのエピソードがあります。上の兄2人と少し離れて生まれたので女の子の誕生を望んでいたからという説、「麻のように揉まれれば揉まれるほど強い男になってほしい」という両親の想いから、という説がありますがいずれも定かではありません。一番真実に近いと思われるものは以前のインタビュー記事内で母親による「世界でも通用する名前をつけたい、ということで共働きの私達に変わっていつも預かってくれた夫の姉夫婦(麻也さんの叔父叔母)につけてもらった」という説が近いと思われます。素敵な名前ですよね。

まとめ

吉田麻也さんは30代後半の現在もなお、サッカー界を代表する国際的な現役ディフェンダーです。名古屋グランパスでプロ入り後、オランダ、イングランド、イタリア、ドイツなど欧州主要リーグで長く活躍しました。日本代表ではキャプテンとして長年にわたり守備を支え、ワールドカップ3大会、オリンピック3大会に出場しています。現在は、アメリカのメジャーリーグサッカー(MLS)に所属するロサンゼルス・ギャラクシーでプレーしており、キャプテンとしてチームを全米制覇に導くなど、リーダーシップと経験で貢献し続けています。一方で飾らない人柄やイジられキャラで国内外のファンからの人気も高い吉田麻也さん、サッカー界のためにまだまだ頑張って欲しいですね。

よくある質問

吉田麻也さんってどんな人?

長崎県出身の現役プロサッカー選手です。ポジションはディフェンダーで、日本代表経験も豊富です。

吉田麻也さんは何歳ですか?

1988年8月生まれですので、2025年現在37歳です。

吉田麻也さんの趣味は何ですか?

主な趣味は公言していないものの、自身のラジオ番組では日本の文房具が好きであるということや、クラシックカーへの愛着を語っています。

吉田麻也さんは何か国語ぐらい話すことができますができますか?

英語とイタリア語は堪能なことで知られています。あとLAギャラクシーではスペイン語も試合中に使用していると言われてます。ですので日本語も含め3,4か国語といったところでしょうか。

吉田麻也さんの年俸はどのくらいですか?

現在所属しているLAギャラクシーでは2025年シーズンにおける基本年俸は45万5000ドル(約6935万円)、総報酬額は52万6281ドル(約8022万)とされています。