場所

浅草寺

浅草寺せんそうじ)は1400年近い歴史を持つ都内最古のお寺です。象徴とも言える浅草寺の玄関「雷門」や、本堂へ向かう参道である「仲見世(なかみせ)通り」など日本の歴史と文化が詰まっていることが魅力です。国内外より毎年3000万人以上の参拝者が訪れる日本有数の観光スポットとして知られる、そんな浅草寺についてWiki風に紹介しながら、さらにユニークなエピソードを交えて詳しく解説していきます。

竹本 北斗

目次
浅草寺

基本情報

浅草寺Sensō-ji)は正式には「金龍山浅草寺(きんりゅうざんせんそうじ)」と言い、聖観世菩薩を本尊とすることから、「浅草観音」として知られています。本堂の前にはお香を炊く大きな香炉があり、香炉の煙を体の悪いところにかけると治りが早くなると言われているため、この煙を浴びてから参拝する人が多くいます。

戦争や火災による被害を受けながらも何度も再建され、現在の建物は1950年に再建されたものです。境内には五重塔、仁王門、本堂などの美しい建造物があり、特に五重塔は日本でも有名な五重の塔の一つとして知られています。日没にはライトアップもされ、朱色が際立つ美しい演出で存在感を放っています。

名称

浅草寺(せんそうじ、Sensō-ji)

所在地

東京都台東区浅草2丁目3番1号

創建

推古天皇36年(628年)

公式サイト

www.senso-ji.jp

歴史

戦国時代の有名な武将、徳川家康は天下分け目の決戦「関ヶ原の戦い」の勝利を祈願するため、この由緒正しきお寺を訪れました。そして家康率いる東軍が見事勝利をおさめたことによって、この浅草寺のご利益がさらに知れ渡っていくこととなりました。それではその歴史を見ていきましょう。

描かれた浅草寺境内

「東都名所」に描かれた浅草寺境内

写真は www.senso-ji.jp より

ご本尊の出現・飛鳥時代

飛鳥時代の628年に宮戸川(現在の隅田川)で、槍前浜成・竹成兄弟が漁をしている時に網の中に引っかかったご本尊を見つけました。外してもその後何度も引っかかってきたことから持ち帰り、土地の長に見せたところその像は観世音菩薩と判明し、お堂に供養することにしました。それが浅草寺の始まりだと言われています

発展と再建・平安時代

慈覚大師円仁が平安初期に訪れ、中興開山(衰えていたものを再び繁栄させること)して浅草寺は宗教的な地として次第に発展していきました。しかし、1041年に起こった地震で崩壊してしまいます。その10年後に再建が完了されたものの今度は1079年に原因不明の火事により消失します。その後用舜(ようしゅん)上人が中心となって再び再建を行いました。

源頼朝の参詣・鎌倉時代

鎌倉時代に編纂された「吾妻鏡」によると「浅草寺」という名前がこの寺に使われ始めたのはこの頃だそうです。鎌倉幕府の初代将軍である源頼朝が、平家追討の際や藤原氏征討の際に訪れて戦勝を祈願しました。この参詣や源平の戦いによって、武者たちの間でも浅草寺は次第に知れ渡ることとなりました。

天下統一を果たした徳川家康の参詣・江戸時代

織田信長の後を次いで最終的に天下統一を果たした徳川家康も浅草寺を祈願所として訪れていました。かの有名な関ヶ原の戦いの際も祈祷を行い、家康率いる東軍が見事勝利しました。1631年と1642年に相次いで焼失したものの、3代将軍家光の援助により1648年には五重塔、翌年には本堂が再建されました。又1685年には表参道に「仲見世」の前身である商店が設けられ、見世物小屋など庶民文化の拠点として盛り上がっていきました。

浅草寺の近代化・明治時代

江戸幕末から明治への転換期、明治維新が起こり、浅草寺にも影響を残します。仲見世が近代的なレンガ造りの建物に生まれ変わり、商業施設と展望塔を兼ねた12階建ての「凌雲各(りょううんかく)」が完成しました。日本初のエレベーターが備えられたことでも知られています。お寺を始め浅草という地が信仰のみならず、時代を先取る文化の町として繁栄しました。

再び再建・昭和以降

大正時代の関東大震災で町の大半が焼失する被害にもかかわらず、浅草寺では地元の親方らの懸命な防火作業により一部建造物が延焼するだけの被害で済みました。しかし、1945年の東京大空襲では本堂、五重塔が多くの建物が焼失してしまいます。戦後は浅草の活気も一時衰退していきましたが、パナソニックの松下幸之助氏や複数の要人の寄贈により本堂、雷門、五重塔などが再建され、かつての賑わいを取り戻しました。現在は下町情緒を残す街として東京の代表的な観光地となっており、羽子板市やほおずき市などの年中行事は多くの人出で賑わっています。

年間イベント

東京随一の観光スポットとして知られる浅草寺には1年に40回ほどにも及ぶたくさんの年間行事があります。その中から主なイベントを紹介します。

  • 新年大祈祷会(しんねんだいきとうえ)

    新年大祈禱会

    新年大祈祷会

    写真は www.senso-ji.jp より

    大晦日に除夜の鐘が鳴り響き、年が明け元旦を迎えると参拝者は一斉に手を合わせ仏様に祈りをささげます。祈祷を希望する場合は願い事を記した祈祷札を申込み、本堂内陣に上がります。

  • 節分会(せつぶんえ)

    季節の分かれ目を意味する「節分」は厄払いのための特別な1日。立春の前日に浅草寺の本堂で豆まきをします。「鬼は外」ではなく「千秋万歳(せんしゅうばんざい)、福は内」と唱えます。

  • 本尊事示現会(ほんぞんじげんえ)

    金龍の舞」とも言われます。ご本尊の聖観世音菩薩のご示現を祝って、本堂では金龍が美しい舞を披露します。

  • 仏生会(ぶっしょうえ)

    花祭り」とも言われ、お釈迦様の生誕日を祝う会。花御堂(はなみどう)に安置された仏様の像に甘茶をかけてお祝いをします。

  • 宝の舞(たからのまい)

    子どもの日の5月5日、浅草幼稚園に通う園児たちが主役となり、縁起物の宝船を曳きながら境内を練り歩きます。子供たちは飛鳥時代の漁師に扮しています。

  • 四万六千日(しまんろくせんにち)

    ほおずき市」とも言われます。7月9日と10日、この日に参拝すると46000日分の功徳(くどく、よい行いへの報いのこと)があるとされ、本堂ではほおずき市が行われます。

  • 菊供養絵(きくくようえ)

    参拝者が持参した菊とすでに霊前に供えられた菊を交換します。その交換した菊を陰干ししたのちに枕の下に敷いて寝るとご利益があると言われています。

  • 納めの観音ご縁日(おさめのかんのんごえんにち)

    納めの観音ご縁日・羽子板市

    納めの観音ご縁日・羽子板市

    写真は www.senso-ji.jp より

    年の暮れの特別な縁日として人々に親しまれ、正月の縁起物である羽子板が売られる「羽子板市」も行われます。市場に並ぶ羽子板は豪華な飾りが施されており、色鮮やかな羽子板に囲まれながら1年の終わりを家族で楽しく過ごします。

豆知識

それでは浅草寺に関する面白い知識をご紹介します。

地名は浅草「あさくさ」なのに、なぜ浅草寺「せんそうじ」なの?

お寺の読み方は「音読み」が多いからです。お寺は仏様が祀られている場所で、仏教は主に中国を経由して日本に伝来しました。それでお寺の名前は中国の漢字の読み方に近い音読みが使われることが多いのです。ただし例外もいくつかあり、有名なところでは京都の「清水寺」(きよみずでら)、「鞍馬寺」(くらまでら)は訓読みで言われます。

本尊が非公開なのはなぜ?

最初のお堂を作った勝海上人というお坊さんが、夢枕で「みだりに拝するなかれ」という観音様のお告げを守ったので、今でも浅草寺のご本尊様は秘仏とされ非公開です。ただし、前立本尊様は(まえだちほんぞん、本尊様の身代りとして作られたもの)年に一度12月13日に限り御開扉法要にて一般公開されます。

浅草寺のおみくじは「凶」が多いってホント?

「浅草寺のおみくじは「凶」ばかり出る!?」と一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。これについては実は浅草寺もメディア等で言及しています。江戸時代におみくじの元となるものが作られ、当時の様式を今でもずっと採用しているとのこと。その当時から「凶」の割合は全体のなんと30%!多い方かもしれません。ただ、おみくじは観音様に相談すること、お聞きすることなので、「凶」だからだめだということではなく、今はやめておこう、これ以上は悪くはならない、などというように捉えて欲しいというのが浅草寺のお言葉です

アクセス方法

位置図

浅草寺の位置図

スクリーンショット www.senso-ji.jp より

浅草寺への行き方は以下の通りです。

電車の場合

東京スカイツリーライン: 浅草駅出口1より徒歩5分

東京メトロ銀座線: 浅草駅出口1より徒歩5分

つくばエクスプレス: 浅草駅A1出口より徒歩5分

都営地下鉄浅草線: 浅草駅A4出口より徒歩5分

都営バス: 都08、東42甲系統の東武浅草駅バス停より徒歩5分

京成タウンバス: 有01、新小59系統の浅草雷門バス停より徒歩3分

東武バスセントラル(スカイツリーシャトル): 浅草雷門バス停より徒歩3分

台東区循環バス「めぐりん」 ※浅草寺へは「北めぐりん」ルートが便利。

車の場合

浅草寺に駐車場はなし。周辺に雷門地下駐車場、タイムズ浅草などの駐車場有り。

浅草寺のスキーム

浅草寺の計画

写真は www.senso-ji.jp より

周辺グルメ

浅草は食べ歩きスポットから優雅な時間を過ごせるお洒落なレストランまで、シーンに合わせて楽しめる食の宝庫です。そんな浅草の周辺グルメ情報をお届けします。

片手に食べ歩きグルメを極めるなら

  • 「浅草蛸たこ×ころも兄弟」の「たこせん」(500円)

    ふわトロっとしたたこ焼き2個が、カリサクっとしたえびせんべいでサンドされた大阪生まれのB級グルメです。「賞味期限3分」のうたい文句どおり出来立ての食感が魅力です。

    住所:台東区浅草1-32-11 九十一ビル1F 

    電話:(03)-5246-3720

  • 「浅草うなな」の「うなぎおにぎり」(700円)

    良質な国産うなぎを使ったテイクアウト専門店。うな重やかば焼きもありますが、人気はワンハンドで食べられる、香ばしくてふんわりしたうなぎとおにぎりのコラボは絶品です。

    住所:台東区浅草2-7-21

    電話:(050)-3503-7253 

  • 「浅草花月堂本店」の「ジャンボめろんぱん」(280円)

    昔から有名なこのメロンパンは近くにも支店があります。大きくてフォトジェニックなルックスと外はサクサク、中はふわふわとした食感がほかにない美味しさを生み出しています。

    住所:台東区浅草2-7-13 

    電話:(03)-3847-5251 

ゆっくりとレストランで下町を楽しむなら

  • 「ちんや浅草本店」

    明治13年創業、浅草で最も古いすき焼きのお店でお客様も何世代にも渡ります。最初に千住葱の香りをまとわせたお肉から入り、食材とともに少し甘めに仕上げた割り下ですき焼きを存分に楽しみます。しゃぶしゃぶもあります。

    住所:台東区花江戸 2-16-1

    電話:(03)-3841-0010 

  • 「THE DINING シノワ唐紅花&鉄板フレンチ蒔絵」

    ホテル絶景の眺望から新感覚中国料理のヌーベルシノワと、厳選素材のメインディシュを目の前で華麗に演出する鉄板フレンチの融合が楽しめるお店。複合レストランならではの洋中コラボレーションメニューは他にはないこだわりが満載です。

    住所:台東区西浅草3-17-1 浅草ビューホテル27F  

    電話:(0570)-003-235

  • 「鮓 かね庄」

    四季折々の新鮮な魚介を使用した、店主こだわりのおまかせ握りが堪能できます。日本酒や地酒も季節によったおすすめが用意されています。江戸の粋が感じられる空間で、ミュランガイド東京2024にも選ばれています。

    住所:台東区浅草3-33-9 

    電話:(03)-3871-6081 

[ 4K ] 浅草雷門 昼間とは別世界 浅草寺の夜景

よくある質問

浅草寺の宗派は何ですか?

1949年(昭和24年)までは天台宗でしたが、1950年(昭和25年)より聖観音宗となり、その本山です。

「雷門」の名前の由来は?

門に向かって右に「風神像」左に「雷神像」を配置することから正式には「風雷神門」であり、通称を「雷門」と言います。

浅草寺は巡礼の札所ですか?

坂東三十三観音札所第十三番、江戸三十三観音札所第一番です。境内西側の影向堂に御朱印所があります。

浅草寺のバリアフリーについて教えて下さい。

本堂向かって左にエレベーターがあります。境内は平坦になっており、段差の解消にも取り組んでおります。又、宝蔵門の右側と本堂裏にあるトイレには多目的トイレも合わせて設置しており、車いす用手すりやおむつ替えシート、ベビーチェアが備え付けてあります。尚、オストメイトの設備はございません。

ご利益はズバリ、何でしょうか?

ひとことでいうと「どんなお願いにも対応可能」で、浅草寺は神仏のデパートと言われています。仕事、お金、芸事の上達、恋愛、それぞれに叶うお堂がいくつもあるからです。例えば、銭塚地蔵堂に安置されている「カンカン地蔵」は塩を奉納してお願いすると、財福のご利益があるそうです。