宮崎駿
宮崎駿(みやざき・はやお)さんは日本のアニメーション界の第一人者として知られる映画監督です。スタジオジブリを設立し、数々の長編アニメを制作。国内だけでなく海外にも絶大な影響を与え続けています。ここではそんな宮崎駿さんのプロフィールを紹介しながら、その人物像に迫ります。
プロフィール
宮崎駿(みやざき・はやお)さんは東京生まれ。学習院大学政治経済学部卒業後、東映動画に入社。1978年にNHK初の国産アニメーション「未来少年コナン」で演出家デビューを果たし、1979年に映画「ルパン三世・カリオストロの城」で初の監督を務めました。1984年に自身のマンガを映画化した「風の谷のナウシカ」が大ヒット、一躍有名になります。その後、アニメ映画製作会社「スタジオジブリ」を設立。以降、「天空の城ラピュタ」「となりのトトロ」「魔女の宅急便」「紅の豚」「もののけ姫」など、ヒットを連発します。
2001年に発表した「千と千尋の神隠し」では日本歴代最高興収記録を樹立し、第75回アカデミー賞の長編アニメーション賞を受賞。また、第52回ベルリン国際映画祭において、最高賞である金熊賞を受賞。これはアニメ映画としては初の受賞作となりました。同年、自身が館主を務め、設計も手がけた三鷹の森ジブリ美術館を東京都三鷹市にオープン。2004年の「ハウルの動く城」ではヴェネツィア国際映画祭オゼッラ賞、さらにアカデミー名誉賞を受賞。2005年にはこれまでの功績が評価され、ヴェネツィア国際映画祭の特別金獅子生涯功労賞を受賞。2012年、文化功労者に選出。2013年に長編アニメからの引退を表明しましたがのちに撤回し、2014年には米国アカデミー賞の名誉賞を受賞しました。
ファンタジーの世界、日本の田舎を思わせる情景、中世ヨーロッパの街並みなど、さまざまな場所を舞台に、平和とヒューマニズムという思想を織り込み、大人が感動し、子供が夢中になるアニメを制作し続ける宮崎駿さん。その細部まで描き込まれた最高峰のアニメーションは、世界中で高く評価され続けています。
プライベート
男ばかり4人兄弟の次男として1941年1月5日、東京で誕生。宮崎航空機製作所の役員を務める一家に育ったこともあり、幼い頃より空を飛ぶことに憧れを抱いていました。1944から1946年まで一家で栃木県宇都宮市および鹿沼市に疎開。1947年から1952年まで栃木県宇都宮市の小学校に通学し、4年生からは東京の杉並区立大宮小学校に編入、5年の時に新設された永福小学校へ移ります。子供の頃は身体が弱く運動が苦手でしたが、この頃から既に絵を描くのは非常に上手かったようです。また、漫画が大好きであり、手塚治虫や杉浦茂の作品を読み漁っていました。1956年、東京の杉並区立大宮中学校を卒業、都立豊多摩高校へ入学。1959年に高校を卒業した後、学習院大学政治経済学部に入学。学習院大学に入学したのはお兄さんの影響だとのこと。専攻ゼミは日本産業論で、マンガ研究会がなかったため一番近そうな児童文学研究会に入りました。
東京都で生まれ育ちましたが、29歳の頃に埼玉県南西部の所沢市に転居。この埼玉県所沢市は1988年に公開された「となりのトトロ」の舞台にもなっています。戦闘機や戦車などに詳しい軍事マニアで、その知識は幅広く、甲冑や兜鎧などの日本における伝統的な武具の他、戦車や飛行機、戦艦といった近代兵器の知識を豊富に持っており、作画を得意としています。スタジオジブリの「ジブリ」は、イタリア語でサハラ砂漠に吹く熱風をさす「ghibli」からきているということですが、第2次世界大戦中に使用されたイタリアの軍用偵察機の名前でもあり、飛行機マニアの宮崎監督が命名したということ。日本のアニメーション界に熱風を起こそうという思いを込めたネーミングなのだそうです。なお、宮崎駿さんには別名義として秋津三朗(あきつ・さぶろう)、照樹務(てるき・つとむ又はてれこむ)というのがあります。
代表的な作品
ルパン三世・カリオストロの城(1979)
名探偵ホームズ・青い紅玉の巻/海底の財宝の巻(1984)
風の谷のナウシカ(1984)
- 未来少年コナン・特別篇・巨大機ギガントの復活(1984)
- 続名探偵ホームズ・ミセス・ハドソン人質事件/ドーバー海峡の大空中戦(1986)
- 天空の城ラピュタ(1986)
- となりのトトロ(1988)
- 魔女の宅急便(1989)
- 紅の豚(1992)
- On Your Mark CHAGE&ASKA(1995)
- もののけ姫(1997)
- 千と千尋の神隠し(2001)
- ハウルの動く城(2004)
崖の上のポニョ(2008)
風立ちぬ(2013)
活動年表
宮崎駿さんがアニメに興味を持つきっかけとなったのは、高校3年生の時に日本初のカラー長編アニメ映画「白蛇伝」を見たことだそう。それでは過去の作品群やその素晴らしい功績を振り返ってみましょう。
1963年
学習院大学卒業、東映動画(現東映アニメーション)に入社。東映動画では「わんわん忠臣蔵」「狼少年ケン」「ガリバーの宇宙旅行」「少年忍者風のフジ丸」「ハッスルパンチ」「レインボー戦隊ロビン」「魔法使いサリー」「太陽の王子ホルスの大冒険」「ひみつのアッコちゃん」「長靴をはいた猫」 「空飛ぶゆうれい船」「どうぶつ宝島」「アリババと40匹の盗賊」「さるとびエッちゃん」に参加。
1965年
同僚の大田朱美さんと結婚し、新居を東京都東村山市に構える。
1967年
長男(長編アニメ「ゲド戦記」の監督脚本を務めたアニメ映画監督の宮崎吾郎さん)誕生。
1969年
次男(版画家の宮崎敬介さん)誕生。練馬区大泉学園へ転居。
1970年
埼玉県所沢市に転居。
1971年
映画監督・アニメ演出家の高畑勲さん、アニメーター・キャラクターデザイナーの小田部羊一さんと共に東映動画を退社。Aプロ(現シンエイ動画)へ。「ルパン三世」「赤胴鈴之助」「パンダコパンダ」「パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻」「荒野の少年イサム」「侍ジャイアンツ」に参加。
1973年
高畑勲さん、小田部羊一さんと共にズイヨー映像(現日本アニメーション)に入社。「アルプスの少女ハイジ」「フランダースの犬」「母をたずねて三千里」「あらいぐまラスカル」に参加。
1978年
実質的な監督デビュー作となる「未来少年コナン」公開。
1979年
「赤毛のアン」参加後、5月に日本アニメーションを退社、東京ムービー新社へ。初監督作品「カリオストロの城」公開。
1980年
東京ムービー新社の関連会社、テレコム・アニメーションフィルムで新人育成。「新ルパン三世」145,155話に参加。
1981年
アニメージュ8月号で宮崎駿特集が組まれ、徳間書店とのつきあいがスタート。
1982年
TVシリーズ「名探偵ホームズ」の監督を務めるが、途中で制作中止。アニメージュ2月号から「風の谷のナウシカ」の連載を開始。 11月、「リトルニモ」の演出を降りてテレコム退社。
1983年
書き下ろし絵本「シュナの旅」出版
1984年
映画「風の谷のナウシカ」公開、同時公開は「名探偵ホームズ」。東京杉並区に個人事務所「二馬力」開設。
1985年
東京都武蔵野市吉祥寺にスタジオジブリを設立。
1986年
映画「天空の城ラピュタ」公開。同時公開は「続・名探偵ホームズ」。
1988年
映画「となりのトトロ」公開。
1989年
映画「魔女の宅急便」公開。モデルグラフィック誌に「雑想ノート」を不定期で連載開始。
1991年
映画「おもひでぽろぽろ」公開。
1992年
映画「紅の豚」公開。東京都東小金井にスタジオジブリ新スタジオが完成。
1994年
アニメージュ3月号で「風の谷のナウシカ」終了。「平成狸合戦ぽんぽこ」企画公開。
1995年
映画「耳をすませば」公開。
1997年
映画「もののけ姫」公開。
1998年
ジブリを退社。近くに「豚屋」(アトリエ兼オフィス)を設立。モデルグラフィック誌に「妄想ノート」を連載開始。
1999年
スタジオジブリ所長としてジブリに復帰。映画「千と千尋の神隠し」に向けて作業を開始。
2001年
映画「千と千尋の神隠し」公開、2352万人もの観客動員数を記録し、興行収入316.8億円を記録。ジブリ美術館開館、ジブリ美術館用短編「くじらとり」公開。
2002年
映画「千と千尋の神隠し」が第52回ベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞。ジブリ美術館用短編「コロの大さんぽ」「メイとこねこバス」公開。映画「ハウルの動く城」に向けて作業を開始。
2003年
映画「千と千尋の神隠し」が第75回アカデミー長編アニメーション賞を受賞。
2004年
映画「ハウルの動く城」公開、当時の観客動員数と興行収入において、歴代最高のオープニングを記録。ヴェネツィア国際映画祭のオゼッラ賞やニューヨーク映画批評家協会最優秀アニメーション賞を受賞、アカデミー賞にもノミネート。
2005年
スタジオジブリが徳間書店から独立、株式会社スタジオジブリ取締役に就任。第62回ベネチア国際映画祭で名誉金獅子賞を受賞。
2006年
ジブリ美術館用短編「やどさがし」「水グモもんもん」「星をかった日」公開。映画「崖の上のポニョ」に向けて作業を開始。
2008年
発案・基本設計を行ったジブリ社内保育園「3匹の熊の家」をスタート。映画「崖の上のポニョ」公開。
2009年
4月号~2010年1月号まで「月刊モデルグラフィックス」にて全9回の漫画「風立ちぬ」を連載。
2010年
ジブリ美術館用短編「ちゅうずもう」公開。映画「借りぐらしのアリエッティ」公開。ジブリ美術館用短編「パン種とタマゴ姫」公開。
2011年
映画「コクリコ坂から」公開。
2013年
映画「風立ちぬ」公開。9月に公式引退を発表。
2014年
日本人としては映画監督である黒澤明さん以来2人目であるアカデミー名誉賞を受賞。
2015年
モデルグラフィックス誌に掲載予定だった漫画「鉄砲侍」の掲載中止を発表。
2016年
初のCG作品となる美術館用作品「毛虫のボロ」を制作開始。NHKで特別番組「終わらない人 宮崎駿」が放送され、番組内において宮崎駿さんが長編映画の制作現場に復帰していたことが明らかに。
2017年
長編映画引退を撤回し新作制作を発表、制作スタッフを募集。
2018年
ジブリ美術館用短編「毛虫のボロ」公開。
2019年
「君たちはどう生きるか」を発表。
まとめ
宮崎駿さんは日本のアニメーションを文化に変え、アニメ業界の発展に貢献し続けてこられました。ひとつひとつの作品を丁寧に作り上げ、子どもだけでなく大人の心も掴み、世代を超えて大きな影響を与え続けています。「面白いものはこの世界にいっぱいある。キレイなものや、まだ出会ってないかもしれないけれど、いいこともいっぱいある。それを子どもたちに伝えたい。ただそれだけですね。映画の中じゃない。映画の向こうにいっぱいあるんです。」と語る宮崎駿さん。ジブリファンの方、ジブリ映画が気になる方は、ぜひ宮崎駿さんが館主を務める「三鷹の森ジブリ美術館」にも足を運んでみてください。